【社会学】テロはコスパが良い
Chap.10 テロ「21 Lessons」(ユヴァル・ノア・ハラリ)について
テロの破壊行為は恐ろしいが、テロの目的は破壊そのものではない。テロ(Terrorism)は文字通り恐怖(Terror)が目的だ。たとえば地下鉄で爆弾を爆発させ多くの死傷者(数十人)を出すだけでは駄目だ。それが報道され、政府が過剰に反応し、国民が恐怖の想像を羽ばたかせることで初めて成功する。
テロの任務、国家の使命
テロリストは実行不可能な任務を負っている。それは軍隊もなしに武力で政治を変えるという任務だ。一方、近代国家もまた、国民の生命と財産を守るという困難な使命を帯びているし、それが国家が存続する理由でもある。つまり、国民を守れない近代国家はその信頼を失う。だから、政府はテロに立ち向かう必要がある(テロに負けないぐらい派手に)。
テロ犠牲者と砂糖の犠牲者
2015年のパリ同時多発テロ事件では、130名が暴力の犠牲になる大惨事だった。一方でヨーロッパでは毎年交通事故で約8万人が亡くなっている。しかしフランス議会では交通事故犠牲者のために黙祷を捧げたりはしない。
2001年のアメリカ9.11テロでは、一度に3000人もの犠牲者が出た。一方2000年のアメリカ人の「不適切な食生活と運動不足」(要するに肥満)による死亡者数は40万人である。だが政府は糖尿病死者のためにグラウンドゼロのような慰霊碑を毎年立てたりはしない。
このギャップは何か。それは西洋近代国家の正当性は国内の政治的暴力を許さないという約束のもと成立しているから発生する。中世では企業や政府の支配権を求めるためには暴力が欠かせなかった。無数の貴族が軍隊を持ち、街には自警団がいた。
政治的暴力の衝撃
いまや西洋国は国内の政治的問題や政権交代を武力で決着つけたりはしない。人々はあっという間にそれに慣れ、自然権と考えている。
だからこそテロという見世物がこれほど成功していまうのだ。イギリスで数人殺害するほうが、イラクで何百人も殺害するより大きな注意を引く。
国家は領内の政治的暴力を許さないと何度も強調し、国民もその状態に慣れきった。私達は何世紀にも渡って流血の闘争を繰り返したあげく、暴力の闇から抜け出した。テロはそのような無政府状態に逆戻りする恐怖を掻き立てる。
皮肉にも近代国家は政治的暴力の排除に成功したがゆえに、テロに対して脆弱になったのだ。
派手なテロ対策
テロへの最も効率的な対応は、情報活動とテロ資金への工作だ。だがそれでは国民はテレビで見られない。国民はビルが崩壊するテロのドラマを見た。だから国家はそれに劣らぬ見ごたえある炎と煙の上がるドラマを上演せざるを得ないと感じる。ひっそりと行動する代わりに猛攻撃をかけ、それがしばしばテロリストの夢を叶えることになる。
では国家はテロにどう対処すべきなのか。
・政府はテロネットワークに対する秘密活動に重点を置く。
・マスメディアはテロの宣伝をし過ぎない。
・国民が過剰に反応せず、テロの本当の脅威を考える。
冒頭にも述べたとおり、テロの成否は私達にかかっている。私達の想像力でもって自分自身の恐怖心に過剰に反応すれば、テロは成功する。もし自分自身の想像力をテロから開放し、冷静に対応できれば、テロは失敗するのだ。