【社会学】洗脳マシーンから抜け出す
世の中はすべて虚構
世の中を正しく知り、正しい判断を下したいと思う。では世の中とはなにか。国家を例に考える。
国家とは何か。比較的大きな人間の共同体である。共同体とは政治・経済・風俗などで結びついている人々の集まりである。政治・経済・風俗はすべて人間の想像上の産物であり、ハラリの言葉でいう「虚構」である。逆に言うと、共同体を維持するために必要なのは真実ではない。
つまり国家は虚構という貧弱な土台の上にある概念ということ。そんなものを「正しく知ろう」なんて土台()無理な話だ。
真実の探求はできないのか
では真実を探求し、正義を見つけることはできないのか。残念ながら人間社会では真実(虚構でないもの)を見つける方が難しいし、見つけても正義の為にならない。なぜなら真実は共同体の維持にも、個人にもほとんど役に立たないからだ。
しかも国家を結びつけるための政治・経済・風俗を常識や法律として、多くの人が信じ、守り、強化している。つまり、土台よりもその上に乗る屋根の方が重いのだ。
だから虚構だからといって土台を崩すことは役に立たない以上に有害であることも多い。
サッカーの真実とは
サッカーを例に考える。サッカーの真実とは、22人の人間がボールを追いかけ回すことだ。
でもそんなことを試合中に考えても何も面白くない。サッカーチームのために大規模に結束したり、暴力を振るったりするのは、サッカーのルール、国家同士のナショナリズム、ファンというアイデンティティなどの虚構(想像上の産物)があってこそである。
フェイクニュースが1000年続けば…
かつてのナチスのプロパガンダの巨匠ヨーゼフ・ゲッベルスは次の様な考えを元に、虚構だらけの第三帝国のもとにドイツ国民をまとめた。
一度だけ語られた嘘は嘘のままで有り続けるが、1000回語られた嘘は真実だ。
フェイクニュースと神話の違いも結局は規模と機関の差でしかない。虚構の話を1000人が100日間信じるだけならただのフェイクニュースだが、10億人が1000年間信じ続ければ、常識や宗教、法律となる。
事実はそんな単純じゃない
だからといってフェイクニュースを正当化するわけではない。どんな(フェイク)ニュースの裏にも本当の苦しみはある。例えばウイグル関連では様々な嘘が本当かわからない情報が溢れているが、人々が亡くなったのは事実だし、収容所に入れられた人々が苦しんでいるのも事実だ。
したがってニュースをそのまま受け取るのではなく、私達が思っている以上に難しい問題であることを認識し、現実と虚構を区別するために努力すべきなのである。
だが、多くの人は難しい問題を理解するための努力より、先の投稿で、複雑な世の中を否定する方法を採用する。
無料ニュースの魅力と危険
ニュースは複雑な世の中を簡単に教えてくれる。人々に、時間をかけて無料のニュースを読むよう仕向けるし、それは多くの人にとって非常に魅力的に思えるのだ。例えばテレビやスマートニュースやツイッターのような。それはもはや洗脳マシーンである。
洗脳マシーンの記事を信じる人が1000人ならフェイクニュースで終わるだろう。だが1億人が信じれば国家が動く。その時、それが真実かどうか疑えば、非常識な人だとか、非国民だとかいう扱いを受けることだろう。
洗脳マシーンから抜け出す
洗脳マシーンの影響を避けるには、2つの方法がある。
第一に、情報にお金を払うことだ。
例えば高品質の食事は、適切な栄養があり健康にも良い。低品質の食事を続けるなら、寿命は縮みいつも病気に悩まされることになる。
無料のセンセーショナルでエキサイティングなニュースよりも、本を読んだり有料記事を読むようにするべきだ。
第二に、自分にとって大事なニュースは科学的に検証することだ。
科学には限界があるが、それでも科学はこれまで最も信頼できる情報源だ。ニュースの理解と、科学的事実が矛盾したときは、自分の理解の方を疑うべきだろう。