【読書メモ】男社会がしんどい
男社会がしんどい 一気読みの勢いで
瀧波ユカリ先生のtweet
を拝見し、早速ポチリ。
マンガなので、脳パワー使わないで読めるのもありがたい。
感想はあとあと追記するかもしれません。とりあえず早く書いておきたい。
あぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜!
って、なります。
30半ば以降の女性は(例:私)確実になるはず。
脳コルクポンポン飛びました。
旦那さんとのやりとりとか、職場で日々直面してる会話とロジック同じで、納得しかなかった。
現状をよくするための話をしているのに、途中からそれやったら意味なくない?っていう方に話がクルリする原理、これなのか…。と。
田房先生の1mmも通じない…という感想、ヘドバンで首がもげそうだった。
田房永子先生のnoteにサンプルがあります。
アレ?あのモヤモヤの時の!(話が脇道に)
途中から、アレ?著者の名前、聞いたことある…と思っていたのだけど、エトセトラVOL.1の責任編集された方だった。
エトセトラはVOL.2を購入したのだけど、この本の購入に至っても若干モヤッとする出来事があって…
実際に手にとって買いたいな、と思い某大型書店に足を運び、フェミニズム関係の本を陳列している書棚で見つからず検索機に頼ったところ
”女性”というカテゴリーの本棚にあるとのこと、棚番を確認して向かう。
その書棚は、実質恋愛指南本の棚でした。
そこにポツンと、当エトセトラと、上野千鶴子先生の本が1冊ずつ。
言いたいことはいっぱいあるけれど、
まず一番は
恋愛指南本なんか読んでる、ほらやっぱり女はそうゆうの好きなんじゃん。と周りに思われないか?
それはものすごくシャクだということ。
(注:恋愛指南本、読むの全然悪くない!でもそれを選ぶことで、あ〜ぁやっぱ女って〜と思われることが嫌すぎる。そもそも棚も女性はこうゆうの好きでしょ?で、このラインナップになってる?!?と邪推してしまったよ)
そんなことが瞬時に浮かんで、心の中で違います!違います!フェミニズムの本が欲しいんです私!と言い訳をしながら、ピンポイント狙い撃ちで探して足早にその場を去った。
担当者が、恋愛指南本から新しい世界を広げるためにフェミニズムの本を置く、精肉売り場に焼肉のたれを置くように…という意図があったのかもしれない。
ただ私にとっては、かなりしんどい配置。
息を止めて潜るような感覚で、本を取りに行った。
話が脇道に入ってしまったけれど、
『男社会がしんどい』は男性に読んでもらって、というよりも
女性、私より先輩は過去の不条理とのすりあわせ作業に、
私より後輩はおかしいことはおかしいと知り、無駄に傷ついたり自尊心を損なったりしないように、ぜひ読んで欲しい一冊と私は思いました。
痴漢のロジックと伊藤詩織さんが提訴の記事
この本を知り読んだタイミングで、
ちょうど伊藤詩織さんが提訴という記事が。
私が読んだ記事は下記。
色々論点はあると思うんですが、タイミングも重なり
自分が一番気になった点が↓
え???
送った側の人、
どこがどうなって、性器を送りつけていいんだ!っていう結論になったの????
男社会がしんどいの中に出てきた痴漢OK子の発想と、同じ論理の破綻にびっくり。(そして痴漢OK子でうっかりググってみて後悔)
フィクション前提。ただしイケメンに限る。
女性向けのマンガにも、痴漢やドS的なものを題材にしたはたくさんあるけども、女性はフィクションとしてわかって楽しんでいるのではないかなと、個人的には思うところであります。
女だってそうゆうもの楽しんでるじゃないか!という反論があるならば、もうその時点で話がこの先交わらせることできないですよね、スタート時点のフィクションと現実のラインを共有できていないので。
現実は、あくまで”ただしイケメンに限る”
女性の軽薄さ・中身の無さを際立たさせるように使われるこの言葉だけど、イケメン=女性がこの人がいいと思った、関係性ができた人と置き換えれば、ただしイケメンに限るというのは至極当然のこと。
片方の、好意・希望→許可→行為実施の、許可がマルッとすっ飛ばされた状態で実施された行為は、投げつけられた側からしたら通り魔にいきなり殴られるのと、きっとおなじ。
おわりに
男社会がしんどいを読む事で、今まで言語化できるほどくっきりしていなかった、女性の当事者としての感覚と、男性側の見えてる世界とのズレが言語化されたのがすごく大きかった。
インターネット上にある、フェミニズム・アンチフェミニズムのそれぞれの主張を追うのは疲れてしまうししないけれど、自分より下の、女性の後輩に接していく上の一つの礎として、ここにメモとして残します。
追記:2020/06/23
レビューの評価も興味を惹かれたため、この流れで同じく田房永子先生の「男しか行けない場所に女が行ってきました」を読了。(こちらは活字)
山をつぶしたいわけではないし、乗っ取りたいわけではない。ただ山に怯え、「仕方ない」と諦め、世話だけをし、本来山へぶつけるべき怒りを次世代の女へ流し愚痴る、そんな歴史はこれ以上続けたくないなあと、思っている。
上記は本書のあとがきより。今の自分のモチベーションをそのまま言葉にしてもらったような、そんな文章。
女性が仕方ないで思考を停止しないため、でもあるけれど、男性側のもう無意識レベルまで染み付いたアタリマエについて、本当にアタリマエ?それ普通?という問いかけでもある。
差別する側・マジョリティ・力のある方・有利な方…この題材の視点では男性だけど、常に差別される方”じゃない方”は、問題に無自覚である。(なぜならばその人の目の前に問題は起こっていないから)
これは私自身にも、女性であっても軸が変わればもちろん言えることであり、せめて見えない・気づけなくても、声を聞いたら目の前のアタリマエを疑う仕様の自分でありたい、と願うのでした。