【雑記】フェミニズムの難しさ
この歳になってすっかりフェミニストとして開眼してしまった私ですが、”クソフェミ”としてラベリングされることを非常に恐れています(男性からでも女性からでも)
単純にそうゆうラベリングが嫌だというのもあるけれど、ラベリングされた瞬間、議論は強制終了せざるを得なくなり、以後話を取り合ってもらえなくなると思うから。
そんな”クソフェミ”に怯える私に、職場の若い女の子が”ばちくそフェミニスト”という名称を提示してくれて、以後ばちくそフェミニストという名前と、その名前に矜持を持ってやっていきたいと思った次第。
干支一回り以上年の離れた人と意見交換したり、新しい知見を得たりできるのは、ある意味ランダムな寄せ集めの会社という組織の良い点だな、とも思った。
話が変わって、昨日同年代の女性同僚と食事に行き、ちょっぴりフェミニズムの話になり。
女性みんながみんな、バリバリ働いて上に行きたいと思っているわけじゃないから、少し気持ち的に距離を置いてしまう。(要約)というような意見を聞いて。
私が目指すのは、上に行きたい女性は上に行く道があり、ゆったりほどほどに働きたい男性も引目なく働ける、個性を生かした無理のない社会なんだよなぁ。でもどうしても、フェミニズムの視点で話すと、上に行きたい女性は上に行く道があり(、ゆったりほどほどに働きたい男性も引目なく働ける)って言葉にせず隠れてしまうことが多々。思いはきちんと言葉にして発してこそ存在できるんだと、戒めになりました。
性別ではなく、個性で道を選べる社会を目指したいな、と思う。
最近の面白い発見、もうひとつ。
先日紹介した田房先生のcakes連載
性別関係なく、立場が変わると役割が変わる…!!!
生物的な性差が影響しているというより、社会的な性別役割で今になっている、構造的なことが主原因ならば、構造で解決することがたくさんあるってことなんだ!ととても勉強になりました。