BreatheとかいうUKの失われた至宝をお前らに紹介して震え上がらせるだけの記事
みなさんこんにちわ。
ここ最近「初心者必聴!洋楽名盤10選」っていう1万字を余裕で超えるような記事を2つ書いていたんですけど、これがまぁびっくりするくらい反応が微妙でしてね。
そりゃそうなんのはわかってましたよ。この記事読む人たち、これらの定番アルバムはもう通過したうえで読んでるから「何をいまさらこんな初歩中の初歩の話してんだこいつ」って思われてるんですよ。多分。
逆に自分としては洋楽を知らない人に知ってもらいたい体であの記事を書いていたとはいえ、なかなかそういった層に見つからないのも事実で、情報を発信するってやっぱ難しいなと痛感する所存なわけなんですよね。その分「何言ってんだこいつ」って思いながらも読んでくれている皆さんにはもうありがたやぁーという気持ちでいっぱいではあります。だからわがままとは言わないけどせめて読んでる人は拡散してほs・・・人間のがめつい部分が出てしまいましたね。本題に入りたいと思います。
Breatheとかいう謎のバンド
今回の記事で紹介するバンドは80年代後半から90年代初頭まで活動したBreathe(ブリーズ)というポップバンドについてである。
このバンドを知った経緯というのが突如YouTubeのおすすめにこのMVが出てきたことがきっかけだ。
自分元々80年代の音楽がすごく好きで、特にこの時期は自分の中で空前絶後チャゲアスブームが来ていたこともあり、デヴィッドフォスター系統のAORにめちゃくちゃハマっていてその系統の曲をめちゃくちゃ漁っていたんですよね。
そんな中現れたこの曲ね。もう完全に自分のどストライクといいますか、あぁこれめっちゃいい曲だわぁみたいになりまして。イントロのピアノからもう切なすぎて胸に来るというか、その後も哀愁を帯びたほろ苦い大人なバラードって感じで、もうエモいに襲われて死んでしまうんじゃねえか本気で考えるくらい個人的にツボだったんですよ。あとちょっとチャゲアスの「If」っぽいなあとも思ったのも、個人的な加点ポイントです。
加えて自分がこのバンドに強い興味を示すようになった面白い事実がわかりました。なんとこの曲をカバーしている日本人がいたんですよ。
なんとあの天下の松田聖子がこの曲をカバーしており、ミュージックステーションで披露していたんですよね。松田聖子といえば80年代末ぐらいから海外志向が強くなっており、実際に海外進出にチャレンジしたりしているんですよね。実際88年にはアルバム「Citron」において、80年代AORの第一人者であるデヴィッドフォスターを招いて制作していたりします。
でこのカバーが収録されているアルバム「Eternal」っていうのが、当時単身ニューヨークに渡っていた松田聖子自身が、現地で聴いた中でいいと思ったバラードをカバーするという趣旨の作品なんですけど、結構そこ攻めるのかってチョイスの楽曲が目立つんですよねこれが笑。ただそんな中で唯一のイギリスのアーティストからのカバーがこの「How Can I Fall」という楽曲だけなんですよ。
というわけでこのBreatheというバンドについてより深く知りたいなと思い色々調べてみたんですけど、なんと恐ろしいことに日本語で彼らのことをまとめた記事がめちゃくちゃ少ない。英語版のサイトなんかも見てみたんですけど、それでも情報が少ない。
いやこれが全然売れていないバンドとかだったら、あぁカルトバンドだったんだなで済む話なんですよ。問題なのはこのバンドは当時のイギリスのアーティストにしてはビルボードのトップ10にシングル2曲をランクインさせており、割としっかり売れているバンドであるということなんですよ。このようにBreatheがそれなりのセールス実績があるにも関わらず、日本においてはその存在が歴史から抹消されているのはその音楽性に由来しているところがあります。
ブリッティッシュAORとブルーアイドソウルの憂鬱
80年代後半から90年代初頭のイギリスの音楽といえば?という質問を投げかけた時、あなたならどんな音楽を創造するだろうか?
おそらくこんな感じのインディー・ロックだろう。そうこれが真理です。
このころってちょうどオルタナティブロックという概念が世界的に浸透して、インディーシーンから面白いジャンルの音楽が数多く誕生してたんですよね。
じゃあオルタナ以外ならどうなるのって話になると大体上がるのがニュージャックスイング系統のR&Bやら、ヒップホップやら、ヘヴィメタルやら...全部アメリカの話じゃねえかという感じになるんですよね。
実はインディーシーン抜きにしたら、意外とこの時期のイギリスの名盤ってぱっとは出てこないんですよね。それこそデフレパードの「Hysteria」とかポールマッカートニーの「Flowers In The Dirt」ぐらいですかね。
というわけでその頃のイギリスのインディーロック以外にはどんな音楽があったのってなった時登場するのが、ブリティッシュAORやブルーアイドソウルといわれるジャンルの人たちです。
元を辿るとネオアコ系のアーティストが60sのソウルへのオマージュを取り入れたことと、ポールヤングやカルチャークラブといったソウルからの影響を受けたアーティストが第2次ブリティッシュインベンションで成功したことで、イギリスでもブルーアイドソウルの機運が高まりつつありました。
そのタイミングで衝撃的なデビューを果たしたのが、パンク界の貴公子ポールウェラー率いるスタイルカウンシルでした。60sのソウルをより直接的に80年代のサウンドで再解釈しながらも、おしゃれで洗練された楽曲は大きな衝撃を与えたわけです。
日本ではカフェバーブームとしてここら辺の音楽が一緒くたにされるわけだけど、とにもかくにもこれに続けとスウィングアウトシスターズやシャーデー、シンプリーレッドといったアーティストが成功します。
そしてここにデヴィッドフォスターが提唱したAORサウンドを取り入れたバンドも出てきて群雄割拠の状態となります。ではなぜここまで一大ムーブメントにもなったにも関わらず、現在では総スカンを食らう羽目となったのか。これにはいくつかの理由が考えられ、以下が自分の考えた理由です。
・インディーシーンの方が面白い上にその後の歴史に繋がるから
・商業ベースなところがあるから
・主要アーティストが短期間でフェードアウトしたから
・そもそもAORやブルーアイドソウル自体がダサく思われているから
この4つが一番の理由でしょう。このシーンから出た90年代前後のアルバムで現在でもちゃんと評価されてるのって、多分ブルーナイルの「Hats」とプリファブスプラウトの「Jordan The Come Back」ぐらいなんですよね。でもこの二組っていつも語られるUKロック史の中で、そういやこんなのもいたなぐらいのノリでで来る感じなんで、やっぱり存在感は薄いよなあっていう所はあります。
とはいえこの風潮の一番の被害者はなんといってもシンプリーレッドです。イギリスでは未だにでかい箱でライブができる人気と、YouTubeでもこのジャンルのアーティストではかなり再生されているアーティストでありながら、日本では「Stars」の一発屋みたいな扱いをされてしまっているんですよね。
といった感じでこの時代のブリテッィシュAORやブルーアイドソウルに関しては、いいアーティストがいるにも関わらず日本では商業的ということで真っ当に評価されているアーティストが少ないということを今一度考えるべきだと思っている今日この頃なわけです。
稀代の傑作「All That Jazz」
さてさてそんな風潮もあって見事に埋もれてしまったBreatheであるわけだが、活動期間もいかんせん短いことに加えて、アルバムも2作しか残していません。そりゃ忘れ去られるわな笑。
そんな中でも1988年リリースのデビューアルバム「All That Jazz」はとてもいいアルバムです。次作の「Peace Of Mind」もマットな質感のいいアルバムですが、「All That Jazz」は80年代特有の派手な音作りが作品をよりゴージャスなものへと仕上げています。
1曲目の「Jonah」の分厚く力強いブラスセクションがアルバムの始まりを告げたかと思えば、そのまま流れるようにアルバムでもっともゴージャスな2曲目「All That Jazz」へと続きます。この「All That Jazz」がまたスリリングな感じがあってとてもいい曲なんですよね。
そして4曲目に来るのが彼らの代表曲である「Hands To Heaven」なんだけどこれがまぁじで名曲過ぎる。
掴めそうで掴めない空間的なサウンドとこのバンドお得意の泣きの美メロ、デヴィッドグラスパーの瑞々しい透明感のあるボーカル。これらの要素が科学反応を起こし、まさにタイトル通り天国に手が届きそうな神々しさを放っています。
その後も「Don't Tell Me Lies」、「Liberties Of Love」、「Won't You Come Back」といったポップな楽曲群が続き、最後は上にも挙げた名バラード「How Can I Fall」で有終の美を飾るわけです。
全ての曲のクオリティが非常に高く、また楽曲の配置のバランスも凄くよかったため飽きさせる瞬間が無い構成はお見事といった感じです。これが現時点で忘れられている作品という扱いを受けていると思うと、個人的にはなんだか残念な印象です。個人的にはとてもよく出来たポップアルバムだと思うので、一聴の価値ありといったところです。