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J-POP史上最強の裏名盤ASKA「Kicks」サブスク解禁

あなたの好きなクリスマスソングはなに?

A「ぼくはワム!のLast Christmasかな!」

B「やっぱりマライアキャリーのあれよ!」

C「フッ!そこはCASTLEBEATのWishでしょうよ」

D「うるせぇ海外インディーオタク!てめぇはback numberのそこらへんのテキトーな歌でも聴きながら部屋でシコシコ一人寂しいクリスマスでも過ごしてろよバーカバーカ」

僕「いやいや君らそんなことよりもASKAサブスク解禁されてるかさ...」

J-POPが誇る最強の裏名盤「Kicks」聴こうよ


ASKAサブスク解禁

なんとこの度、2024年12月24日、あのSNSと音楽は別でお馴染みのASKAの主要な作品がサブスクで解禁となりました。非常に喜ばしいですね。イニエスタJリーグに参戦、近所のイオンモールにクリスピークリームドーナツ出店と同じくらい喜ばしいですね。

SpotifyやApple Musicのサービスが始まり早10年、すっかり日本人の音楽視聴環境に定着したサブスクですが、海外と比較して日本においては大物アーティストのサブスク解禁が遅れてきたのも事実でございまして。最近なんかでも90年代の国内ロックを代表するバンドの一つ、BLANKEY JET CITYが今年の夏にサブスク解禁したばかりで話題になりましたよね。特に日本の場合は90年代のCDバブルの恩恵を受けていたアーティストからすると、ギャランティの低さみたいなところがネックになってるケースは否めない気はします。

特にこのサブスク解禁に反対してた二大巨頭と言が山下達郎と今回取り上げるASKAでございまして、両者共にサブスクのギャランティの低さにネガティヴな印象をたびたびメディア上で展開してた印象があります。ただこの両者に関して私の見解としては達郎はまぁこの持論を展開するのもわからなくは無い気がして。というのもやっぱり達郎の場合はちょっと前のシティポップリバイバルのおかげで、若いリスナーにもレコードやYouTubeの違法アップ音源経由で新規リスナーを獲得できてるのが大きくて、別にサブスクなんかなくても聴かれる機運ってのが高かったんですよね。

で、対するASKAに関してはサブスク解禁しなきゃダメだよって思いがあって。やっぱり筆者世代(20代後半)の持つASKAのイメージってクスリで捕まったお騒がせ歌手なんですよね。

僕ちょうどこのキセキの世代(2014年)の頃高校生だったんで、まさにASKAってイメージとしては佐村河内、小保方、野々村なんかと同列って印象が筆者含め同級生では共有されてた感ありまして笑。

でその後、ASKA本人はお茶事件とかありながらも活動再開。陰謀論めいたSNSが減点ですが、それでも音楽の神に愛されただけあるのか、卓越したソングライティングと圧倒的なパフォーマンスで毎年武道館やれるくらいには人気も復活したわけです。

今年京都音博で初めて生のASKA見たんですけど、やっぱ圧巻でしたね。喉の調子悪いって言ってましたけど、くるりの岸田さんの50倍くらい分厚い歌唱で会場の空気掌握してたもん。

ただどんだけいいライブをしても、彼の場合音源が中古CDをブックオフで買い漁らない限りリーチしないっていう難点がありまして、J-POPが生んだ至宝だけにイマイチ過小評価されてる感は否めなかったんですよね。サザンもミスチルも、B'zもスピッツもみんなサブスクにあるのに、チャゲアスだけはずっと不在。そんな状態だったわけです。

ただそれが今年の8月になんとチャゲアスのサブスク解禁が発表。今までサブスク解禁に反対してただけにかなり絶望的な状況だったのが、今回のサブスク解禁で多くのチャゲアスを知らないリスナーの元に届くようになったんですよね。実際私のTwitterのTLでも、チャゲアスを聴いてこなかった人たちが聴いてる様子を見受けられて、サブスクの影響力すげえってなったものです。

そして今回、とうとうチャゲアスだけでなくASKAのソロも解禁ということになったので、いよいよ日本の音楽シーンが誇るオルタナティブなスターの全貌が触れる機運が高まってきたわけでございます。今回の記事はそんなASKAのディスコグラフィの中でも屈指の異色作「Kicks」について触れていきます。

「Kicks」完成までの道のり

まず今作が出された時代背景として、当時の時代の世相が大きく反映されていることが大きいです。90年代前半のバブル崩壊を機に、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件といった日本の世相に暗い影を落とすような出来事が大きく起こっていた時代。バブル期の最中J-POPという大衆音楽を定義したアーティストたちもそういった時代のトレンドに追従するような流れがありまし

小林武史と共にJ-POPの雛形的フォーマットを定義付けたアーティストでもある桑田佳祐は、それまでのサザンの王道的なサウンドを捨てた「孤独な太陽」でシンプルなフォーク&ブルース的な作風を展開したのは良い例ですね。

また当時人気絶頂だったミスチルがJ-POPの金字塔的作品「深海」で、社会への皮肉や絶望感をより強く打ち出していったのもこの時代ならではです。

一方でバブルの機運に乗るかの如く、壮大かつ豪華絢爛なサウンドでのし上がっていったチャゲアスに関しても、スタジアムロック色の強い作風へと回帰。その背景にはASKA自身がミスチルなど若い世代のアーティストの台頭、そして何より当時の時代の空気感が要請する大衆音楽が、それまでの自分たちが奏でてたものと真逆のスタンスであるという感覚を実感していたというのが大きいでしょう。同時期にリリースされたASKAソロの代表曲「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」というタイトルなんかいかにもって感じです。すごくわかりやすい人です。

96年にチャゲアスは活動停止を発表。そこから二人はそれぞれソロ活動に入るわけですが、そこからのASKAの出す音源が明らかにおかしくなります。

ソロ最初の一発目で出された「ID」という曲ですが、もう最初のムンワリとした東南アジア風情あふれるイントロの時点で明らかに中の人が変わってる感がすごいです。最初の歌詞も"軽く麻酔を打たれたくらいの速さで〜"って、このあと夢でキスキスキスでお騒がせすることを考えるとこの頃くらいから薬物の影響はありそうだなぁってのがわかります。曲自体も情報社会の発達化への警鐘を歌っており、なんか今のASKAのTwitterが老害陰謀論アカウントに成り果てたのも凄く納得が出来ます。(筆者はASKAの音楽好きですが、彼がSNSで展開する陰謀論じみた言説は好きじゃないです)

元々こういうしっかり作り込んだポップス作ってきた人だったのに

急にこうなんて言うんでしょう、肩の力がめちゃくちゃ抜けた楽曲群を、いくらソロとはいえ展開されたら変な感じしますよね。しかも歌詞も明らかに悪そうな人の匂いがプンプンしますし、この朗らかポップスさとは打って変わった独特の怪しさがあって怖いです。(褒めてます)

こうして完成されたソロ4作目「ONE」を引っ提げて自身初めてのソロツアーを敢行するわけですが、その時のツアーが偉く楽しかったようでまさかのチャゲアスの活動休止期間を一年延長して新しいアルバムを作ることになります。


J-POP史上最強の裏名盤「Kicks」

「Kicks」は1998年にリリースされたソロ名義では5作目のアルバムです。まずジャケ写の時点で豪華で煌びやかなJ-POPの王道とも言えるチャゲアスのイメージを覆すような、鮮やかにコラージュされたジャケットが目を惹きます。このASKAの顔がバラバラになったジャケットが象徴するように、本作は"ASKAという人間の破滅"そのものを鮮やかに切り取ってしまったことが最大の魅力であります。

今作を一言で表すならば"J-POP史上最強の裏名盤"です。なぜ裏名盤なのか?それはこのアルバムが持つ破滅的な魅力に相反して絶妙に知名度が伴わなかっただけでなく、アーティスト自身も破滅へと追い込んでしまったというところが大きい。

この作品は本来やってる音楽とはま反対のダークな作風に行き着いた作品を闇堕ち系アルバムとするなら、上述したミスチルの「深海」やYMOの「BGM」のように商業的自殺とまで言われながらある程度商業的成功を収めつつ批評界隈でもしっかりと名を残すアルバムと比べると知名度が圧倒的に劣りますよね。

他にもBUCK-TICKの「Six/Nine」なんかも急にインダストリアル的な方面へ接近した闇堕ち系アルバムですが、彼らの場合は元々がダークな気質画ある上にその後の音楽的進化の過程がリスナーの熱い支持を獲得していった時代と共に評価されていってますよね。あとは同じくおクスリお騒がせ系の槇原敬之「Cicada」、これは逆に逮捕されたことで逆に認知度が上がったタイプの傑作ですね。

ではなぜASKAの「Kicks」はここまで知名度が低いのでしょうか。それは本当にこのアルバムがあらゆる時期が悪かった、それに尽きます。

まずこのアルバムですがリリースが1998年、チャゲアスが時代の覇権を握ってた90年代初頭から時間が経ち、チャゲアスの存在が絶妙に忘れ去られてる頃のリリースでした。じゃ逆にチャゲアスファンとしてはどうなの?って話ですが、もちろん作風が従来のチャゲアスの作風からは真逆な上に、チャゲアスの活動停止期間延長してこれかよってことであんまり評価はよろしくなかったみたいです。このKicksのツアーも結構チケットの売れ残れがあったなんて証言もありますしね。

そしてなによりもASKA本人の逮捕、復帰後もSNS上でのあの言動で、ほんのりとASKAのこと評価したらなんか白い目で見られそうな空気が出来ちゃった感は否めません。しかもつい最近までサブスクに無かったわけで、そりゃ誰がこの作品に触れるの?って話ですよ。

今回の記事はサブスク解禁された今だからこそ!
この作品が評価される機運が出来たんじゃ無いですか!!!っていう意気込みで作ってます。

さて早速、本題の作品の中身に触れてみましょうか。

今作のオープニングを飾る「No Way」、いきなりどんよりとしたサイケデリックな楽曲で始まります。こりゃだいぶヤッてますね笑。歌詞はよく見ればめちゃくちゃねっとりとした情事を歌ってるのですが、ナパームっていう単語をサビにぶっ込んだりするあたり「地獄の黙示録」を想起させるような汗まみれのサイゴンの一夜のような感じが漂ってきますね。

そこからシングルカットされた「Girl」は前の曲のようなベタつくような空気から一転し、フラメンコギターの鮮やかなタッチが印象的な妖しげなエロスへと流れ込みます。

そして3曲目の「Now」ではまたまた一転して、激しいハードロックサウンドを展開します。この躁鬱的な展開、ちょっと前まで甘美なブルーアイドソウルをやってた人とは思えないくらい作風が180度変化してます。自己のパブリックイメージを破壊してまで見せてくる、まるで一種のトランス体験のような音楽こそが本作の魅力なのです。私はこの頭3曲を聴いただけで、本作が並々ならぬエネルギーで作られた怪作だと確信したのだ。

そこから4曲くらいはアコースティック的な作風になるのだが、これが頭3曲の激情的な展開の後のバッドに陥った耳に非常に優しく聴こえてくる。私はその中でもこの「遊星」という曲が好きで、このトリップホップ的なタッチのビートで展開されるASKAの壮大かつドラマティック歌声とメロディ、星で遊ぶとはなるほどこういう感覚なのかとなる。ミニマルなビートに反して、どうしても収まりきらないスケールの大きさ、ASKAというあまりにも過剰すぎる才能が光る一曲だと思う。

そしてASKAソロの中でも重要な位置付けの曲である「同じ時代を」は、彼なりの連帯を優しく訴える力強い曲だ。これも最初静かに始まる打ち込みから、力強いバンドサウンドへと切り替わるドラマティックな楽曲展開がめちゃくちゃ憎いね三菱。

そんな熱い連帯を訴えていたと思ったら、こみあげるように始まるのが本作で一番ハードな一曲「Tattoo」というのがまた熱い展開である。ちょっと前くらいにmiwaっていうアーティストがロックな新曲です!って言って、ちょっと歪んだギターが入ってるだけの曲出しててずっこけたことがある。それを踏まえるとASKAってやっぱりサービス精神が過剰すぎるので、ガッツリハードロックな上に打ち込みのクラブビートまで入れるだけじゃなく、自分もクスリやって喉ぶっ壊してってやるのでまるで意気込みが違う。

アルバムタイトルが冠された本楽曲はまさに今作の肝とも言える作品で、ASKAのねっとりとした歌唱がこれほどかと言わんばかりに展開される救いようのないブルースだ。退廃的な世界観の歌詞は、もはやこの世の軽犯罪のオンパレードのような言葉の羅列であり、シーンのど真ん中で先導してた人がこの作風に行き着いたということがあまりにも感慨深すぎるし、"攻めたアルバム"の範疇を超えているようにも思える。

そしてアルバムは今作でもとりわけポジティブなロックなこの曲で終わる。最後は今から一緒にこれから一緒に殴りに行こうか!っていう、友情を熱く歌う男臭さで締める良いエンディングじゃねえか。

https://open.spotify.com/track/0us8VReMM0Bk1P5OIwfC16?si=J9nHdgIjQFiP5ajAAKm6Cw

と思いきやである。急にドラムンベースがバチバチに決まるダンストラックで締めるのである。なにこれ怖すぎる。サージェントペパーズの最後に流れる逆再生おしゃべりと同じくらい、予想だにしてないところから脇腹に右フック喰らったような衝撃だ。

まとめ

この「Kicks」を伴ったツアーでガッツリ喉を壊したASKA、その後はかつての伸びやかな歌唱を取り戻すまで偉く苦労するうえに、おクスリにもどんどんのめり込んだせいで活動自体が停滞期に入ってきます。10年代前後くらいにはだいぶ調子を取り戻すんですが、その矢先に例の一件で逮捕。
今は元気に活動してますが、やはりどこか過小評価されている状況なだけに非常にもったいないです。

何度も言いますが、筆者としては今回の解禁を機に多くの人にこの妖しげなJ-POPの傑作が多くの人に聴かれることを願うばかりなのでございます。

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