田中ヤコブと僕らのフィーリング
田中ヤコブの音楽に出会ったころ、僕は疲弊していた。度重なる残業、当たり前の休日出勤、積み重なる劣等感と、当たり前になった自己嫌悪。そんな暗い心情に、僕が見据えていた方向とは別の出口からさっと新しい風が吹き込んできたみたいに、田中ヤコブの音楽が響いた。
「ニューフォーク」と題される田中ヤコブの音楽は、懐かしさがありながら古くさくはない。フォーク調のリズムでエレキギターをかき鳴らす彼の音楽は、旅行先で出会う何でもない風景を悠々と過ぎていくように流れていく。誰かの生活圏と、そこで生まれる苦労や葛藤。田中ヤコブの音楽はそうした感情を吸い取りながらも、結局は風と共に去っていく「由無い事」なんだというように歌い、笑っている。自分と誰かと比較するばかりの日々、理想と現実ばかりが乖離していく日々。そこに田中ヤコブの音楽が遠くから聞こえてきて、「だってしょうがないじゃん。そういうもんなんだから」と言われたような気がした。
田中ヤコブのことを調べていくと、かなり特殊な家庭で育っていたことが分かる。小一の時に母親が亡くなり、父親も病気で祖父母の家に居候することになるが、その祖父母には大きな問題があった。
そんな日常を過ごした田中ヤコブの音楽に、ずっしりと暗さに沈む感覚がないことに驚嘆する。確かに歌詞の根幹は「思い通りにならない」「上手くいかない」というようなネガティブなものではありながら、それを自分なりに呑み込み、心地良いグッド・サウンドに昇華している。現状を肯定しているわけではない。ただ自分と折り合いをつけ、自分なりの生き方としてそのネガティブを受け入れている感じがする。
田中ヤコブはそうした家庭にいたこともあって「普通になりたい」という感覚が強いと語っている。それは僕も同じだ。だからこそ、ことあるフレーズに共感してしまうし、ありのままの風景に目を向けてみようと思える。もちろん、変わらない自分を肯定し、成長を放棄しているわけではないけれど……それでも肩の力を抜いて、もっと気楽に考えたっていい。そう思える。
身なりも上等じゃない。無精ひげは伸びっぱなし。荷物はといえば足元に置いている手提げかばん一つ。未だに何をして生計を立てているのかはっきりせず、ときどき路上に出てギターを片手に歌っているおっさん。でも、そうした人の創り出す音楽が等身大の僕らの背中を押してくれるものだったりする。そこには仄かな憧れがある。しかし、そこには他人が安易に語ることのできない強さがある。その人の過去、経験、生きてきた中で定まってきた人生に対する考え方。田中ヤコブが培った人生観とフィーリングが生み出す音楽は、ほかのミュージシャンには決して真似できない。
2ndアルバム「おさきにどうぞ」の2曲目『BIKE』の歌詞が良い。
誰かが見る夢 邪魔はしないように 自分勝手なことばかりはしてられない
自分の内面に重きを置く音楽が溢れているの中で、このたった一節が与える衝撃は大きかった。何でもない、当たり前のことなのに。ただ、そうだよな、と深く納得してしまった。僕らは一人ひとり夢を見て、生きている。僕らの日常をやりくりしながら、生きている。だから葛藤もするし生きづらくもなるけど、それはそういうもんで、何か劇的な解決策があるわけでもなくて……。
以下は、僕が2020年12月18日に書いていた日記。田中ヤコブに出会いたてで、出社中の車中でずっとリピートして聴いていた。いまよりしんどい心情だったが、それ故に心底救われていた。こういう音楽がもたらす栄養がなかったら、僕は多分生きてこれていない。
2020年12月18日
『とどのつまりずっと馬鹿にされながら生きていくしかないんだから』
雑草の匂いを含んだ風とともに流れてくるこのフレーズ。いまの自分の心情にあまりにマッチしていて、すんなりと胸の奥に入り込んでしまう。それが良いことなのかどうかわからない(おそらく良いことではないだろう)。でも、田中ヤコブという歌手が生み出すフレーズには、弱い雨と仄かな日脚が共存しているかのような心地よさがあるのもまた事実だ。
『言った通りに動く機械になれたのに中途半端に伝えようとして本当にすみません』
『いじわるな人に変なヤツと思われてそうだよ。やられそうな君の歌だよ』
こういったフレーズに共感できる人がどれだけいるだろう? 一見弱気で、腰砕けの曲のようにも聞こえる。共感できない人にとっては、世間と足並みを揃えられない中年のフォークソングでしかないだろう。けど、そうじゃない。田中ヤコブの歌が雨上がりの滴のように輝くのは、その曲調の間にごつっと引っかかる反骨精神、しょうがねぇかとあぜ道に寝っ転がって空を見上げるような気楽さにある。
田中ヤコブは天才だ。ゆったりと間延びした歌い方の中に、鋭い刃物のようなフレーズをこともなげに忍び込ませる。一聴して雰囲気に魅せられ、再聴を繰り返すことでその深みにはまっていく。でも、その内容はどこまでも僕らに寄り添っていて、味方でいてくれる。きっとこの人も人並みの苦労を背負ってきた人なのだろう。社会、世間、派閥、責任。そんなもの見たくもないのに、自分の人生の中に含めたくもないのに、僕らは好むと好まずにかかわらずそうしたものに絡め取られ、時には身動きすらできなくなってしまう。どうしてだろう? どうしてこんなものを背負っているのだろう? そこに何が入っているのかわからないがとにかく重く、どす黒くさえある。
降ろすことが必要なのだ。何より、その存在に気付けないことだってある。このアルバムは僕に自由の香りを思い出させてくれた。まぁ、何だっていいじゃないか。出社中、このアルバムをカー・ステレオで流しながらそう思う。『とどのつまりずっと馬鹿にされながら生きていくしかないんだから』こういうフレーズを聴きながら自分を慰めるのもどうなんだろうなぁ……。気がついたら口ずさんでいる。冬が来て、そのうち春が来る。