孤独な独身男性が土曜日の午後、ドライブしながら考えること
ミクロを突き詰めていけば、マクロになることもあるよな。
(また、わけのわからないことを考えているな。ミクロの意味も、マクロの意味もわかっていないくせに。こいつは地頭の悪さを隠すために、すぐにこういう表現をしたがる)
フライ・フィッシングにはまっている先輩が、出張に向かう車中でそのことについて色々話してくれた。
(先輩、か。正直二人しかいなかったから、また何か変なことを言ってしまわないかずっと不安だった。陰キャオタクは沈黙を怖がり、自ら墓穴を掘る癖がある。だが、逆に二人で良かったとも言える。ある程度話せる相手なら、多人数より二人の方がありがたい。その方がリラックスして話せるから)
フライは羽虫のことで、それを餌にする魚を釣るからフライ・フィッシングというらしい。普通の釣りの違いは、糸に重さがあること。釣り針には羽虫に似せるための動物の毛皮を巻いているだけだから軽く、重心が先端にない。そのため、「投げる」技術がものを言うらしい。普通の釣りであれば、素人が玄人より多くの魚を釣るビギナーズラックに恵まれることもあるらしいけれど、ことフライ・フィッシングにはそれがない。投げる技術、釣り針を羽虫に擬態する技術……。どちらかというとハンティングに近いものがあるらしく、発祥はイギリスだとのこと。
(だとのこと、だってさ。忘れないようにメモメモ……。油断すると、毎回同じことを聞いてしまうのだ。こいついっつも同じこと聞いてくんな……みたいな顔を向けられるのもしんどい。こういうのって、知ってるけど沈黙を埋めるために同じことを聞いてしまうパターンと、マジで忘れているパターンがあるんだよな。沈黙が無難なのだが、それもマイナスであることには変わりないから)
そこで道具の話になり、はては釣り人のスタイルの話になった。
「釣り竿にもいろいろあって、基本はカーボンなんだけど竹が良いとされたり、グラス製の粘りがいいとされることがあったり……」
「それってシチュエーション的な話ではないんですか? トレンドの話なんですか?」
(このシチュエーション、トレンドという単語をパッと出せたのは良かった。にやにや。いや、気持ち悪っ。何でこう一々自分を良く見せようとするんだろう。でも、こういうので相手の反応だったりが変わるから無理に続けちゃうんだよな)
「ときには釣りそのものじゃなくて道具作りを極めちゃう人もいるんだよね。羽虫に見せるために動物の毛皮だったり鳥の羽だったりを巻くっていったでしょ? それを凄く凝って作ったりする人がいてさ。そしてもちろん釣り竿ね。これを自作して、実際に販売する人もいるんだよ。個人経営で売るっていうのは勿論なんだけど、ガイドみたいな仕事を一緒にやって生計立てている人もいてね」
「なんだか世の中の縮図見たいっすね」
「どういうこと?」
「いや、分業制になった経緯みたいで……」
と、ここで冒頭の話に戻るわけだが、誰かの個人的な話というか、何か一つを極めている人の話を聞くと、あるときから急に視野が広がって、普遍的な視点を獲得することがある。ずっと釣りにまつわる話を聞いていたはずなのに、あるポイントでその限定的な話題の枠組みがとっぱわれて、社会の一般的なルールや常識といったものにつながる瞬間が。
(飛躍しすぎか? これは常々思っていたことなんだけど、いざ説明しようとするとうまく言語化できなくて困る。つまりはミクロを突き詰めるとマクロになるという話なんだけど……(また同じことを繰り返しているな))
文学に置き換えよう。例えばそこで三人の主婦が集まって井戸端会議をしているとする。(井戸端の語源って何だっけ? いつもその場しのぎで覚えては忘れっぱなし……仕事もそんなんばっかだな)
主婦Aは養育費の不満を、主婦Bは夫の不満、主婦Cは日当たりの悪さについての不満で盛り上がる。だけどそのうち、主婦Aは子どもの頭の良さについてBとCにマウントを取り始める。Bはこの二人の誰よりも預金口座があることについて優越感を抱いているし、Cは出会った瞬間から二人のことを見下している。言葉の端々にそういうものが現れ、自ずと露呈させながらも、表情は変わらず、致命的な瞬間も訪ない。そして三人はまた次の日も同じ不満について井戸端会議を始める……。
こういう風に近所の井戸端会議的なミクロな世界観が、人間関係の暗部なり人々が抱える心の浅ましさややましさといった、人類共通の普遍性を映し出したりする。風景描写なり心情描写なりもそうだけど、細かく精緻な描写の面白さは、そういうミクロがマクロに移り変わる瞬間だったりする。
(さも自分が発見したように言っているけど、確かこれはサマセット・モームがどこかで言っていたようなことだった気がする。それと似た短編小説もあったはずだ。でも、確かに短編小説の面白さはそういうところにあるな。ミクロがマクロに移り変わる瞬間。本来であればその世界だけに閉じ込められてしまうような小さな物語の世界が、社会や人間の急所を捉えることがあること)
優れた短編小説とは――なんてことじゃなかった。何か一つのことに詳しい人の話を聞く面白さはこういうところにあるのだろう。細かくて、かなり専門的すぎて――でも、その領域に辿り着くために費やした思考回路や論理、あるいはその情熱の部分は、僕にも理解できたり感じ取れたりすることがある。だから面白い。それは僕の趣味や、考え方にも十分取り入れられる話だ。
(って、別にそんな一々他人の話の影響を受けて自分を変えようなんてことは思っていないのだが。それにしてもReoNaさんが神崎エルザ名義で出したファーストアルバム「ELZA」はすごくいい。こんなドライブ日和にはもってこいのアルバムだ。心地良い風が吹き、新緑が芽吹き、開放的な空が煌めいていて……。そんな風景と実にマッチする)
ReoNa名義になってしまった後では、どこか中高学生向け「過ぎる」というか、臭い表現が目立つようになってしまったように思う。青臭くて、聞いていると恥ずかしくなってしまう。こういうのはもちろん、変に自分の耳が肥えてしまったことが原因なんだろう。きっと学生の頃だったら、ReoNa名義の曲も好きになっていたはずだ。でも、先に「ELZA」を聴いてしまった後では、こういう路線の曲をもっと聴きたかったと思ってしまう。
弱い自分を認めながらも肯定していく感じの曲で、前向きになれる。ReoNa名義の曲もそういう表現の曲はあるんだけど、こうも吹き抜ける心地良い風とともに耳に届いてくれる曲調じゃないというか。ハスキーな声色だから夜っぽくなっていく一方で(多分運営の方針だろ、おい)。『レプリカ』の「夢を犠牲にして、手にした今でさえ、誰かの模造品で」といった20代前半~後半までの年代に刺さる歌詞もいい。
まぁ、比較する必要はないんだ(お前は比較されるの嫌いだもんな。「良くない方」の比較として出されるだけだから)。どのみちこのアルバムは個人的に唯一無二で、鬱々とした空が去った春になると聴きたくなる。
やれやれ、それにしても行列がひどくなってきた(窓を閉めよう。音漏れを気にするタイプなのだ)(あぁ、でも鬱病に効く薬としてオープンカーで自分の好きな曲を流す、みたいなことを書いているポスト(tweet)もあったな。絶対できねぇや)。やっぱり遠出なんてしなければ良かった。でも、遠出しなかったらしないで後悔するしなぁ……。
プリウスか。プリウスに乗っているのはヤクザか前科者だ(この圧倒的な偏見で一笑いを誘えるタイミングはあるだろうか。というかこの偏見の理由は何だったっけな――ファブルだ。ファブルの組長がプリウスとか人気だぞとか言っていたし、街中で安全運転するプリウスを見つけることは、国士無双をロン上がりすることくらい難しいことなのだから)。
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