後始末はいつだって面倒くさい
昔、教室が汚いから授業をしないと言い放った教師がいた。
ある生徒が「部屋が汚くても勉強はできると思うんですけど」と言い返す。
まだ黄色いパーカーの論破王が出てくる前の時代である。
結局その教師と生徒の悶着で勉強に充てられる時間はほんの少し減った。
20世紀最高の物理学者、アルベルト・アインシュタイン。
その仕事部屋は彼が発見する法則と違って、無秩序で乱雑であったと言われている。
スティーブ・ジョブズにマーク・トウェイン、いつの時代も世界を変える天才たちの部屋は混沌を極めていた。
その生徒は歴史を知っていた。決して部屋の美しさと頭の良さは関係しないことを。
それからというもの、その教師の授業がある前日に限って生徒たちは掃除をするようになった。
どうせ汚くなるから、時には業者が入るから、と後回しにしていた作業に取り組むようになった。
掃除というものが生活の後始末から、授業の前処理になったのである。
動機は不純でも、教室は綺麗になっていった。
ゲーム制作には不具合を解消するバグ取りという作業がある。
明らかにおかしい部分は制作の過程で解消されているので、必然的にひたすらプレイしては中々発生しないバグを治す、という羽目に陥る。
何時間バグ取りをしても新しい機能は増えていないし、ぱっと見のプレイ印象は変わっていない。
最近は自動化する会社が多いと聞いた。
コンピュータの不具合をバグと呼ぶようになったのは虫がその原因だったからと言われている。
部品として真空管が利用されていた時代、発せられる光に寄せられた虫が電気で焼死し、死体に電気が流れて不具合を出していたというのである。
昔のエンジニアは虫取り網を持ってデバッグに打ち込んでいたのかもしれない。
子供が愉しげにする遊びを、エンジニアは嫌々行っていた。
バグがあれば非難されるが、バグがなくて賞賛されることはない。
部屋が汚いと怒られるが、部屋が綺麗でも褒められない。
いつだって後始末はリスクを回避するためにマイナスをゼロにする作業であり、報酬の上振れが期待できない。
バグが見つからなかったり、すぐに部屋が汚くなったりして、往々にして徒労に終わることが多い。
しかし万が一、大事故が発生しようものなら後始末はより面倒になる。
授業をしない教師とひと悶着するくらいなら、黒板を消しておいた方が低リスクである。
後始末ではなく、リスク回避のための事前処理だと思えば、少しはやる気は出るかもしれない。
起きてしまったことは後戻りはできない。
頑張っても踏ん張ってもどうにもならない、そんなときもある。
とんでもない後始末を背負う前に、先手先手で対策を打とう。
最初に風呂敷を広げすぎないのが一番大事。
ご利用は計画的に。
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