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[ゼンカイジャー最終回感想]今こそ理解、多様な世カイ?

サムネイル画像引用元:東映 

これが次のスーパー戦隊?

1年前、このメンバーを見てスーパー戦隊だと理解できた人はどれだけいただろうか。

中央に居座るアカレンジャーとビッグワンを足して2で割らなかったような彼=ゼンカイザーが戦隊としての「既視感」をなんとか維持している。

他の4人もよく見れば、ダイボウケン、マジキングと過去の戦隊ロボの面影を感じ取ることができる。

まさしく機界戦隊ゼンカイジャーとは、1年間かけた価値観の許容の物語だった。

異世界の移民=キカイノイドを許容する

機界戦隊ゼンカイジャーの物語は、我々の住む世界が、機械の住む世界であるキカイトピアと融合するところから始まる。

当然キカイトピアの住民であるキカイノイドが移民のようになだれ込んでくるのだが、そこに争いや迫害が生まれることはない。

2年前、「仮面ライダーゼロワン」では人工知能搭載人型ロボヒューマギアが雇用を奪う存在として軽蔑されていたのを見ていた特撮ファンのなかには、「ゼンカイジャーの登場人物は民度が高い」という感想を抱いた方も少なくないのではないだろうか。

赤じゃないリーダー、ゼンカイザーを許容する

ゾックスとステイシーの加入前の初期ではゼンカイジャー唯一の人間、ゼンカイザーは珍しい赤ではないリーダーだった

先行劇場版、「赤い戦い!オール戦隊大集会!」ではタイトル通り歴代戦隊のレッドと共演し、アカレンジャーから「お前、赤じゃないのか?」という言葉を受けた。

それを引きづっていたゼンカイザー、五色田介人に助けが与えられるのがスピンオフ「ゼンカイレッド大紹介?」ではニンジャホワイトをはじめとする赤ではないリーダー達から「姿かたちは関係ないこと」を教えられる

物語当初から他者を許容することに長けていた介人はスピンオフで自分をも許容することに成功するのである。

悪の王子、ステイシーを許容する

悪の軍隊長、バラシタラと人間の間に生まれた子で実験兵士でもあるステイシーは今作の象徴ともいえる存在となった。

最低な父を超えるためにゼンカイジャーを襲うが、偶然亡き母の面影を感じたヤツデが命を狙う介人の祖母であることを知り葛藤する。

介人やその父である功との関係を経て、自らの罪をヤツデに告白するが、ヤツデは糾弾することはなくステイシーを許容した。

ヤツデだけではなく介人も功もステイシーの状況については同情しており、ステイシーの存在を許容していなかったのは彼自身だけだったのかもしれない。

神、ゼンカイザーとの対話で多様な世界を許容する

ギャグよりで進まない物語を終わらせるため、デウスエクスマキナのごとく現れた存在、「神」

神はキカイトピアをはじめとする作りすぎた世界を封印しようとするが介人は反発、それに対して神は「他の世界がなければ争いもない」という旨を告げる。

介人は「悪いのは世界ではなく、たまたまその世界に悪いやつがいただけ」だと反論。最後は神にじゃんけんで勝利し封印された世界を開放する。

介人の言う通り、キカイトピアの住人全てが悪ではない、たまたまキカイトピアに悪人がいただけである。

一つの世界にも色んな人がいるし、一人の人間でも良いところもあれば悪いところもある。そんな教訓。

そもそも「世界」ってなんだ?

ドイツの哲学者、マルクス・ガブリエル。彼は「世界は存在しない」と提唱している。

「世界」はどんな言葉よりも意味の場が広くすべてを内包するため、境界や違いがなく「存在する」とは言えないと私は解釈している。

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似た実例を挙げると、「みんなゲーム持ってる!」の「みんな」や「日本人は礼儀正しい」の「日本人」みたいなものに実態がないといったところ。

物事を一元的にカテゴライズすることは不可能で、その混沌と多様性をそのまま許容する他はない、という感じだろうか。

事実、最終回時点で「ゼンカイトピア」と名付けられた世界にその由来であるゼンカイジャーはいない。

ゼンカイジャーはとにかくこの個性と混沌、多様性をそのまま許容し続けた作品だったと思う。

一言で表すなんて無理なんですよ。

今こそ理解、多様な世カイ?

とにかくゼンカイジャーの作風がなかったらドンブラザーズのスーツさえないフルCGのメンバーにはもっと拒否感を抱いていたかもしれない上、前作主人公が別人として続投することにも今以上に驚いていたと思う。

11人だったり、2戦隊が1年通して戦ったりと変革と挑戦を続けるスーパー戦隊シリーズ、世界各地で価値観同士の衝突が起きている今こそ、全てを許容する彼らに学ぶ時ではないだろうか。

まずは介人やステイシーのように、自分自身を許容するところから始めよう。




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