見出し画像

書評『台湾文学の中心にあるもの』(赤松美和子著)文・菅井理恵



 その国の文学の中心にあるものは何か。そんな無謀とも言える問いに、台湾文学の研究者で、『台湾文学の中心にあるもの』(イースト・プレス、2025年)の著者である赤松美和子さんは真っ先に答えを示している。

斉藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』(イースト・プレス、2022年)は、私たち外国文学研究者に、自身の研究対象の文学の中心にあるものが何かという問いを突き付けた。「政治」、これが台湾文学研究者の現時点での私の答えだ。

『台湾文学の中心にあるもの』

 著者は日本で台湾文学を紹介した時、「台湾文学はなぜ政治的なものが多いのか?」と訊ねられることが多かったと明かしているが、1970年代の終わりに生まれた私も、文学と政治は相容れないもののように感じていた。

 数年前から戦争をテーマにした連載を持っているが、当事者に話を聞いて書くノンフィクションでさえ、最も頭を悩ませたことのひとつが、政治との距離感だった。本書を読み進めながら、その理由を考えてみる。政治イデオロギーが絡むと、本質的な何かを塗りつぶしてしまうような感覚に陥るからだろうか。政治への漠然とした不信感があることも否めない。

 だから、台湾には作家や編集者、読者などが一緒に合宿する「文学キャンプ」なるものがあり、それがもともとは戒厳令下の1955年、中国青年反共救国団によって始められ、「『反共』作家育成を表向きに掲げ、1か月にわたって開催し、作家や詩人である講師が少人数単位で参加者を懇切丁寧に創作指導するなど作家育成機能があった」ことを知って、複雑な思いを抱いた。

 しかし、四半世紀後には、国民党とは真逆のイデオロギーを持つ作家たちが文学キャンプの形式を踏襲し、民主化を達成した2004年には「台湾のあらゆるイデオロギーを包摂する文学キャンプが開催された」と知って驚いた。〝表向き〟には反共のイデオロギーを掲げながら、文学キャンプは何を育てていたのだろう。

 ひとりひとりの戦争体験を聞いていると、「過去」は様々な立場の人たちから、それぞれの言葉で語られなければ、成熟した過去にはなれないような気がしている。

作家のリー・チャオ(り・きょう)は、戒厳令解除の翌年、「文学に政治がなければ偽物であり、特に現在の台湾の作家にとってはそうなのです」と述べた。自分たちの社会とは何か、自分たちとは何者なのか、アーティストたちは、現在を表現し続けるために過去にも向き合い、創意に満ちた挑戦を続けている。

 台湾では、過去の人権侵害の真相を明らかにして和解を図る、移行期正義促進条例が施行されて以来、若い世代に負の歴史を伝えるために、音楽やゲームなど様々な分野の作品が生まれているという。

 条例が施行された時、当時の蔡英文総統が「真相を明らかにしなければ、過去は永遠に過去のものとはならない」と語ったという記事を見たことを思い出した。同時に、「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる」と訴えたドイツのヴァイツゼッカー大統領の演説集をくれた、戦中生まれの日本女性のことを思い出した。

 日本と同じように男系の家の継承を重視する伝統がありながら、2019年、台湾はアジアで初めて同性婚を法制化した。著者はその法制化へと至る道のりの始まりとして、戒厳令のまっただ中に発表された白先勇の『ニエ』を紹介している。

『孽子』は、同性愛者がカミングアウトすれば、家に居続けることすら許されなかった1970年代の台湾社会における、ゲイの青年の葛藤と絶望、台北のゲイコミュニティーの証言者でもある。同時に、この時代に同性愛の物語を描き発表することの緊張感、作家の気迫と覚悟も刻印されている。

 本書の巻末には、台湾史と台湾文学史の年表が掲載されていて、それを辿るだけでも、台湾で暮らす人たちがヒリヒリした年月を生きながら、文学を紡いできたことが推察できる。そうした「時代の緊張感」や「作家の気迫と覚悟」が、忘れ去られることなく今に続いているのは、多様な〝言葉〟のおかげだろうか。

 日本文学は日本語で書かれているが、台湾文学は台湾語で書かれているわけではない。戦後は圧倒的に中国語で書かれることが多かった台湾文学だが、近年はリアルな日常に近づけるために、一部に台湾語や客家語などを用いることもあるらしい。

 そうした姿勢は小学校でも同じで、「郷土言語」の授業では東南アジアなどからの新移民の言葉も含めて、驚くほど多くの選択肢があることを知った。言葉は使う人がいなければ、あっという間に失われていく。かくいう私も、祖父母が話す故郷の言葉を理解することはできても、使うことはできない。

 日本から40年も遅れて民主化が実現したにもかかわらず、台湾では女性国会議員が40%以上を占め、女性総統も誕生した。コロナ禍の取り組みを見て、日本は後塵を拝しているのではないかと思えたことを思い出す。

 本書には日本語でも読める台湾文学が約50作品紹介されている。著者の案内で「台湾文学の中心にあるもの」を考えていると、台湾を育む土壌を分析するようで面白かった。




菅井理恵(すがい・りえ)
福島県喜多方市生まれ。放送記者を経て、写真家・宍戸清孝に師事する。宍戸とともに、国内外の戦跡や東日本大震災の被災地などを取材し、写真集・写真展の構成、原稿執筆などに関わる。情報誌や経済誌などで、主に人物ノンフィクション、エッセーなどを執筆。仙台の情報誌『りらく』で、東北の戦争をテーマにした「蒼空の月」を連載中。

いいなと思ったら応援しよう!