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『見えない日常』(写真・文/木戸孝子)を刊行 シリーズ「アジアと芸術」第4弾


 アジアと芸術digitalで連載された「見えない日常」(2023年8月~24年9月)が書籍化され、3月5日に発売となります。以下に同書の概略をお伝えいたします。本は文末のリンク先からご購入いただけます。

文・アジアと芸術digital編集部


パリ・フォトへの出展を果たした写真家

 毎年11月に開催される世界最大の写真の展示会「パリ・フォト」――。2024年は11月7日から10日までの4日間、フランス・パリの展覧会場「グラン・パレ」で開催された。

 グラン・パレは1900年に行われたパリ万国博覧会の会場として建てられた施設。2021年から続いていた改修工事を終え、25年春に営業を再開する。昨年のパリ・フォトは、歴史的なリニューアルオープンに先駆けて同施設で開催された。日本の美術が西洋に知られ、ジャポニスムのブームが巻き起こったのは、19世紀後半に繰り返し開催されたパリ万博がきっかけだった。

 グラン・パレの完成から100年以上が経った2024年11月、第27回となるパリ・フォトの会場に写真家・木戸孝子は立っていた。ベルギー北部のアントワープを拠点に活動するギャラリー「IBASHO」のブースで、木戸の作品「Skinship」が紹介されたのだ。

 2015年に設立されたIBASHOは、これまでに木村伊兵衛や土門拳、石元泰博、細江英公、森山大道などの日本の著名な写真家だけでなく、新進気鋭の日本の写真家を発掘し、欧州に紹介してきたギャラリーだ。

「IBASHO」のブースで作業をする木戸孝子

 木戸にとっては、今回が初めてのパリ・フォトとなった。日本の大学を卒業し、写真のプロラボに勤めたあと、フリーの写真家として独立。2002年に渡米し、ニューヨークのInternational Center of Photographyに学ぶ。卒業後もニューヨークに留まり、プロラボでプリントやレタッチの仕事をしながら、写真家として活動した。

 日本に帰国したのは2008年。夫の地元・仙台に暮らし、出産を経て、子育てがひと段落した2020年から写真家としての活動を本格的に再開し、これまでに海外のアワードやグラントを多数受賞してきた。そして2024年11月、木戸は満を持してパリ・フォトに臨んだ。


代表作「Skinship」のルーツとなる一書

 実は、木戸の2008年の帰国には、とある〝事情〟があった。小社のシリーズ「アジアと芸術」の第4弾としてこの3月に刊行する『見えない日常』(写真・文/木戸孝子)には、その事情が赤裸々に綴られている。

 日本人のボーイフレンドと、彼の息子とのニューヨークでの3人の生活。息子はまだ小さく、ある日を境に〝母親代わり〟の役割を引き受けることになった木戸は、ただでさえ大変な異国の地で、仕事に子育てに奔走する日々を送っていた。

 そんな著者の日常は、2007年10月に突如として断ち切られる。現像に出したフィルムをドラッグストアに受け取りに行くと、警察官が待機しており、その場で逮捕されてしまったのだ。フィルムには、ボーイフレンドの息子の裸が写っていた。家のなかでのありふれた光景を切り取った写真である。

 事件の背景には、子どもの裸に関する日本とアメリカのカルチャーギャップがある。仮に当時の日本で同じことが起きたとしても、よほど事件性がない限りは木戸が逮捕されることはなかったはず。家庭のなかで小さな子どもの裸が写真に写り込むことは、日本ではさして珍しくないからだ。

 まるで落とし穴に落ちた感覚だった。
 もうちょっと気をつけたほうがいいんじゃないか、と馬鹿にして笑う人もいるだろう。軽蔑する人もいるだろう。でも、気をつけていられる時は、落とし穴に落ちない。落ちるのは、疲れていたり、時間がなかったりで、よく考えていない時。誰の人生の道にも、大なり小なりの落とし穴がぽっかりと口を開けているかもしれない。

『見えない日常』本文より

 カルチャーギャップの狭間で逮捕・留置された木戸。本書では拘置所内での出来事や、弁護士とのやり取り、裁判の様子に加えて、帰国後に再び写真家として活動するようになる経緯などが綴られている。

 特筆すべきは、ニューヨークで逮捕された経験が着想の契機となり、パリ・フォトで展示された「Skinship」が生み出されたこと。いわば、これからいよいよ世界での活躍が期待される著者のルーツが、本書にまとめられているのだ。

ニューヨークで逮捕されていなければ、スキンシップのことを取り立てて考えもしなかった。きっとスキンシップをテーマに写真を撮ろうとも思っていなかったはずだ。作品のヒントは〝落とし穴〟の底に落ちていた。私の場合、そのヒントに気がつくまでに一定の時間が必要だった。

 本書には、木戸がニューヨーク時代に撮り溜めていたシリーズ「The Ordinary Unseen」や、代表作である「Skinship」などから、厳選された写真が随所に掲載されている。印刷・製本を担当したのは、チャレンジングな仕事で多くのクリエイターやデザイナーからの信頼を得ている藤原印刷(長野・松本市)。装丁・レイアウトを担当したのは、日本各地の美術館の図録を手掛けてきたSTORK(東京・渋谷区)。それぞれのプロフェッショナルの仕事は、写真の印刷や紙の本づくりに強いこだわりを持つ著者も満足の仕上がりを実現した。

 書名『見えない日常』は、「The Ordinary Unseen」を著者が邦訳したもの。日本に暮らす多くの人々にとってはなかなか知ることのできないアメリカの拘置所内の日常。あるいは、アメリカに暮らす多くの人々にとっては容易に想像できない日本の家庭の日常――。本書には、日米のあいだにあるいくつもの〝見えない日常〟が描かれている。

最近の世界の写真界は、偏った一部の視点からしか世界を見てこなかったことを反省し、流れが変わり始めた。女性や性的マイノリティーの人、白人ではない人、地元の写真家らの視点の写真に注目し始めたのだ。

 写真に興味がある人はもちろん、フェミニズムや比較文化に関心がある人にも手に取ってもらいたい一書である。




<木戸孝子公式サイト〉

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