「“おいしい”本を心ゆくまで――台湾珍味文學展」台北駐日経済文化代表処 台湾文化センター/文・南部健人
食に宿る土地や個人の記憶
筆者が北京に留学していた頃、中国各地の学生はもちろん、いわゆる港澳台(香港、マカオ、台湾の総称)からの学生や、マレーシアやシンガポールなど東南アジアで生まれ育った中華系の学生など、さまざまな地域の華人と話をすることがあった。
彼らとは〝中国語〟を使ってコミュニケーションを取るのだが、地域によって発音の癖があったり、同じ意味の言葉でも異なる単語が用いられたりしていて、言葉は環境の影響を受けて多様に変化していくのだと興味深く思ったものだった。
そんな彼らだが、一つだけ共通していると断言できる点がある――それが故郷の食に対する強い誇りだ。料理の話になると、実に多くの学生がいきいきとした表情で、舌先に刻まれたふるさとの味を得意げに語り聞かせてくれるのだ。
目の前にその料理が浮かび上がってくるかのような語りに耳を傾けていると、「民以食為天(民は食を以って天となす)」という中国語のことわざが、今も変わらず彼らの生活に根ざしているのだと強く実感させられた。
現在、台湾文化センターで開かれている「“おいしい”本を心ゆくまで――台湾珍味文學展」もまた、台湾の人々のなかに息づく食文化の奥深さを伝える内容となっている。
台湾料理の品々を、台湾文学と絡めながら紹介する本展は、「文学の祝宴12の料理」「日常の食卓」「風土の味を体験」の3つのセクションから構成される。
「文学の祝宴12の料理」では、日本でもよく知られている「魯肉飯(ルーローファン)」や「芒果氷(マンゴーかき氷)」をはじめ、台湾の結婚式での定番料理とされる「紅蟳米糕(蟹のおこわ)」など、計12品の紹介パネルと関連書籍が展示されている。一品の料理から、台湾の風俗や、移民の歴史、少数民族の文化など話題は多岐に広がっていく。
展示内容にある食べ物の記憶は、必ずしもポジティブな思い出だけに関わるのではなく、時に民族や個人の暗い記憶ともつながりあっている。食べるという営みが、人生のあらゆる場面と密接に関わっていることを再確認させられる。
「日常の食卓」では、飲食の記憶が作品に深く関わる、まだ日本語に訳されていない台湾文学の小説やエッセイ集が紹介されている。日本統治下の台湾が舞台になっている施叔青の小説『風の前の塵』(※本作のみ2024年7月に邦訳出版)や、ミャンマーにルーツを持つ作家自身の体験が反映された李筱涵のエッセイ集『猫とワラビ』など、食が土地や個人のアイデンティティの形成に複雑に影響していることが示されている。
「風土の味を体験」では、国立台湾文学館から出版された漢詩の絵本の朗読や、経済部商業発展署が制作した台湾料理を紹介する映像を通して、台湾料理の魅力が紹介されている。
重層的な台湾の食文化
同展の開幕日に開催されたオープニングセレモニーでは、台北駐日経済文化代表処の謝長廷駐日代表や、誠品書店日本橋を運営する株式会社有隣堂から松信健太郎代表取締役社長らがあいさつした。
謝長廷代表は、同展が任期中の最後のイベントへの出席となることを明かしつつ、日台の民衆が文化を通して相互理解を深め、いかなる時でも支え合う〝善の循環〟がこれからも続いていってほしいとの期待を寄せた。
また、会場では同展の展示内容の構成を担当した台湾文学館の陳瑩芳館長からのメッセージ映像が上映された。さらに、同展の展示で取り上げられた書籍の翻訳者らによる解説と、本文の朗読も披露された。
この日のオープニングセレモニーに合わせて、1940年に創業した台南市の老舗レストラン「阿霞飯店(A Sha)」からシェフが来日し、来場者に看板メニューの「紅蟳米糕」を振る舞った。蟹や貝柱などの海鮮のうま味がたっぷりと含まれた香りが会場内に漂うなか、来場者は台湾グルメに舌鼓を打った。
この「紅蟳米糕」は、作家・詩人である焦桐の散文集『味の台湾』にも登場する。この日は、同書の訳者である川浩二氏も登壇。台湾の食文化の特徴として、先住民族の暮らす土地に異なる年代にさまざまなルーツを持つ移民が流入したことでバリエーションが生まれ、それらが重層的に組み合わさって今日の台湾の食文化が形作られていると語った。
台湾の食文化と、台湾文学の魅力が同時に感じられる同展の会期は8月30日(金)まで。詳細は以下の通り。
写真:奥谷仁