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「イケメン仏画 ~聖と性をめぐる美術論~」 木村了子×東晋平

 伝統的な日本画の手法を用い、「美人画」ならぬ「美男画」を描いてきた木村了子きむらりょうこさん。今や公立美術館でも個展が開催され、国際的にも注目されている。近年は坂本冬美のアルバムのジャケットのほか、〝イケメン仏画〟シリーズも手がけ、開創1300年の寺院から障壁画も依頼された。
 編集者で文筆家の東晋平ひがししんぺいさんが木村さんのアトリエのある自宅を訪ね、唯一無二の「美男画」に至るまでの遍歴をうかがい、聖と性をめぐる美術論を語り合った。


日本美術史を画する試み

 木村さんの作品は、しばしば「イケメン画」と称されていて、伝統的な大和絵やまとえ狩野派かのうはの技法を用いながら、現代風のタッチで男性を描いています。そのこと自体がユニークなだけでなく、ヘテロセクシャル(異性愛者)の女性が、ある意味で自分の欲情を素直に前面に出し、賞翫しょうがんの対象として〝美しい男〟を描くという試みそのものが、控えめに言っても日本美術史を画する新しいものだと私は思ってきました。

木村 そう言っていただけると本当にありがたいです。日本美術にはいわゆる「美人画」と呼ばれるジャンルがありますよね。そこではたいてい男性画家の手によって主に若い女性が描かれてきています。
 私の場合はその「美人画」の概念をひっくり返して、私が美しいと感じエロスを感じる若い男性を描いてきたんです。もちろん、それに対して批判もありましたし、欲情のまなざしを向けることがはらむ異性への攻撃的な危険性も自覚しているつもりです。

「イケメン偉人空想絵巻」(国上寺本堂・新潟県燕市)

 美人画の逆張りとして若いイケメンを描いてきたんですけど、ただそれだけでは面白くないなと感じるようになったのがここ数年です。
 私、ジェンダー問わず色気のある人が好きなんですね。国上寺こくじょうじの仕事(本堂壁画「イケメン偉人空想絵巻」)で良寛りょうかんさんを描いたら「ジジイ、すげえ楽しいな」っていう発見があって(笑)。
 じつは国上寺の障壁画に登場させた同寺ゆかりの5人(上杉謙信、酒呑童子しゅてんどうじ、武蔵坊弁慶、源義経、良寛)のなかで、一番色気を感じたのも良寛さんだったんですよ。
 すっかり魅了されて、最近も中年男性のお尻を描いたんですけど、益々「イケオジいいなあ」なんて思うようになりました。


手に職をつけないとダメだ

 お生まれは京都ですね。お父様は『極道の妻たち』シリーズでメガホンも取った映画監督・脚本家の関本郁夫せきもといくおさんです。

木村 中学2年までは京都で育ちました。東寺とうじをちょっと上がったところの商店街がある、いろんな意味で自由な土地柄でした。父から「東京行くで」と言われて引っ越したのが神奈川県相模原さがみはら市だったんです。

 多摩美術大学に入学したあと、翌年に東京藝術大学に入り直していますよね。

木村 多摩美はすごく楽しかったですね。今よりもっと汚かったんですけど、山のなかにあって自然がたくさんで、おしゃれな子も多くて女性も多かったんです。
 藝大を受け直した理由は、お恥ずかしいのですが当時多摩美で付き合っていた男性にフラれて、逃げ出したい気持ちになって(笑)。あとは、周りにも藝大を受け直す子は多かったんですよ。じゃあ私も受けちゃえみたいな感じでした。

 多摩美でも東京藝大でも専攻は「油絵」だったそうですね。

木村 進路で悩んでいた時に、高校の美術の先生が藝大出身の方で、その先生から「美大受けてみたら?」と言われたんです。学力で普通の大学に行けるような成績じゃなかったんで、「ああ、じゃあ絵だったらやってみたいな」と思ったのと、うちの母が洋裁をずっとやっていた人で、家でも自分のアトリエを持って寸法を直したり服を作ったりしてたんですね。
 母からずっと女性は自立できるように手に職をつけないとダメだと言われてきてたんですよ。「デザインやったらいけるんちゃう? 食いっぱぐれないんちゃう?」みたいに言われてました。
 ただ私は平面構成が本当にダメで、あんまり楽しいとは思えなかったんです。前から絵を描くのが好きだったんで「じゃあ油絵科にしよう」って。

 油絵科では西洋画を描くわけですよね。ちなみに、どういう画家がお好きだったんですか。

木村 今はもう油絵は描けないですけどね。当時はジェームズ・アンソールとか好きでした。あとはルシアン・フロイドなんかは、あのザクザクした人体が好きで真似をしてましたね。

 東京藝大では大学院にも進まれています。

木村 大学院では壁画を専攻しました。やはりうちの母からの「手に職」問題で、壁画の技術を身につけたら、それこそいろいろな国で壁画を描いたり修復したりする仕事ができるんじゃないかなって思ったんですよ。
 今もそうですが、大学院の壁画専攻には現代美術をやりたい人が多く、しかも取手とりで校舎(茨城県)だったので工房でいろいろなことができるんです。私も工房で鉄骨にガラスをはめ込んだり、当時はそういうオブジェを作ったりしてましたね。


私はあっち側の人間じゃなかったっけ

 卒業後は朝日新聞社出版局(現在の朝日新聞出版)で働かれていますね。社会人になってからも美術の制作は続けられていたんですか。

木村 続けていました。会社は、就職活動とか全然していなかったんで、大学院の先輩から出版社の話をされた時に「それ面白いかもな」と思って飛びつきました。
 バイトから入って常勤になった後も作品の制作を続けてはいたんですけど、けっこう私、編集の水が合ってしまったんですよ。最初は『知恵蔵ちえぞう』の編集を手伝って、ミレニアム企画の別冊付録を担当して、それが結構楽しくて。仕事でパソコンも使えるようになったんで、当時働きながら学んだことは今もけっこう役に立ってますね。やってることは今もほぼ同じじゃないかと思います。
 私の制作って、何もないところから自分の感情だけで描くとか、湧き上がる情熱をキャンバスにぶつけるようなタイプではなく、集めた資料を日本美術をベースに組み立て直して自分の主張をそこに当てはめていくタイプなんで、編集的な作業だなって思ってますね。

床の間の作品は、映画『HOKUSAI』の
セットで使われた「那智の瀧図」

 そのころなさっていた制作はどういうものですか。

木村 ステンドグラスです。大学院の夏休みに10日間くらいフランスに行ったんですよ。本物のステンドグラスを見たいなと思って。シャルトル大聖堂に行った時にすごくショックを受けてしまって、もう圧倒的なんですよね。巨大なのはもちろんなんですけど、圧倒的としか言いようがないくらいの光の芸術の美しさに打ちのめされました。

 東洋の宗教が聖なるものを塑像そぞうで表現するのに対し、カトリックの教会では高窓のステンドグラスから降り注ぐ光を効果的に使うんですよね。
 すっかり水が合っていた編集の仕事を辞めて画業に専念されたのはどういう経緯だったのですか。

木村 編集者として取材をしたりイラストレーターに発注したりしてるうちに、「あれ? 私はあっち側の人間じゃなかったっけ」と思うようになったんです。やっぱり制作する側でありたいと。退職した直接のきっかけは出産でしたが、母になってからも制作を続けている友人がいたのもあり、これでやっと制作に専念できる! と呑気に思ってました。

ステンドグラス「雪責め―伊藤晴雨模写」

 乳飲み子を抱えていたころに、父が『およう』という映画(2002年公開/松竹)を撮ることになったんです。団鬼六だんおにろくさんの原作で、竹久夢二、伊藤晴雨せいう、藤島武二という三人の画家とひとりの女性をめぐる物語です。
 私、伊藤晴雨が好きだったので、晴雨の作品を模写してステンドグラスにして父の誕生日にあげていたんですよ。そしたら、映画のセットで使う襖絵ふすまえを描かないかと誘われて。私は日本画なんて描いたことないし、それは美術さんの仕事だろうと思ってたら、美術さんは空間づくりが専門で絵は画家に発注するそうなんですよ。日本画の描き方的な本を見ながら泣く思いで描きました。半裸の女性が縛られて吊るされている〝責め絵〟の襖絵です。


切り開いた新境地〝イケメン仏画〟

 聖なるものから〝性なるもの〟に木村さんの扱う主題がシフトしていくわけですが、「聖」と「性」はどちらも人間の根源的なものであり、内心の自由のコアな部分です。だからこそ、古今東西の権力は常にこのふたつに介入してこようとします。「信じて/愛してよいもの」「信じて/愛してはならないもの」を指図してくる。それに対し芸術は、「聖なるもの」を描いているように見せかけて同時に「性なるもの」を巧みに表現してきましたよね。

木村 おっしゃるとおりですね。ミケランジェロも人間の裸が許されなかった時代に、これは聖書の物語だ、神の姿だと言って、堂々と裸を描いたんですよね。私が男性を描くようになったのは2004年からです。最初は官能的な女性図を描いていたんですけど、自分が本当に描きたいと思うものを描こう、自分が愛し欲情する対象としての男性を描こう、と思ったんです。
 ただ、セクシャルな男性図をリアルに描くとゲイ作家の作品と思われたんですね。個人的には田亀源五郎たがめげんごろう先生の絵とかは大好きなんですけど。あくまで女性発信の男性像として、あえて少女漫画タッチのイケメンにしてきました。もちろん、少女漫画から受けた影響も計り知れません。

「地蔵菩薩半跏像」

 それでもセクシャルな男性図を描くと、最初は「はしたない」と批判され、やがて世の中がボーイズラブ・ブームになると今度は性的搾取だと批判され(笑)。パイオニアの宿命ですね。
 今では公立美術館が堂々と木村さんの展示をする時代になり、さらに触発を受けた次世代の画家たちも登場してきました。そして、近年に切り開かれた新境地がイケメン仏画です。

木村 仏画を描くようになったのは2017年からです。ハワイのお寺にすごくセクシーな半跏はんか像があったんですよ。イケメン画に飽きて描けなくなっていた時期で、私が足繫く通っている近くのお寺に超絶イケメンの〝美坊主〟がいらしたので、心のシャッターに刻んできたそのお顔をモデルに「地蔵菩薩半跏像」と、あとは煩悩まみれの私にふさわしい「天弓愛染明王てんきゅうあいぜんみょうおう像」の2点を最初に描きました。

「天弓愛染明王像」

 仏画は作法や決まりごとがあって難しいんです。本来はそういうのを勉強してから描くべきなんですけど、それを待っていたら死んじゃうなと思って挑戦しました。
 そしたら国上寺さんが「イケメン 仏」でツイッター検索して私に障壁画を依頼してくださったんです。寺院ゆかりの人物たちをブロマンス(男性同士の恋愛ではない親密な関係性)風に描きました。
 じつは本堂の内部にも水墨画の襖絵を納めていて、2026年の御開帳で披露される予定です。そちらは仏画と、竹林七賢ちくりんしちけん図の襖絵になっています。

 障壁画を目あてに来る観光客も増えて地域おこしにもなっているそうですね。〝性なるもの〟が見事に〝聖なるもの〟へと昇華されましたね(笑)。
 イケメン仏画と聞くと不謹慎に思う人がいるかもしれませんが、仏教美術ってやっぱりその時代時代の理想や憧れのビジュアルだったと思うんですよ。
 木村さんは観音かんのん図も男性で描いていますよね。一般的に観音は女性だと思われていますが、ガンダーラでは髭を生やした美形の男性像です。敦煌莫高窟とんこうばっこうくつに描かれている飛天ひてん図も、初期は男性なんです。なので木村さんのなさっていることは、むしろ何もおかしくはありません。21世紀の仏画として、これから海外の人たちに訴求していくんじゃないでしょうか。

木村 ありがとうございます。まだまだ勉強しながら手探りで描いていますが、これからも自分のなかの「生きる喜び」に素直に、日本美術の男性表現を追い求めていきたいと思っています。

「蓮池寝仏図」



木村了子(きむら・りょうこ)
1971年京都府生まれ。東京藝術大学大学院修士課程壁画専攻修了。伝統的な日本画の技法や絵画のスタイルを継承しつつ、異性であり愛の対象である「男性」を時にはエロティックに、時にはコミカルにさまざまなテーマで描き出す。国内外の展覧会のほか、寺院の障壁画、映画やゲームなど多ジャンルとコラボして活動している。

木村了子オフィシャルサイト

東晋平(ひがし・しんぺい)
1963年兵庫県生まれ。文筆家・編集者。著書に法華経と日本文化の関係を考察した『蓮の暗号』。現代美術家・宮島達男の『芸術論』などの編集を担当。

作品画像:本人提供
写真:Yoko Mizushima


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