インタビュー「食文化を通して見る中国と台湾」川浩二(中国文学者、翻訳者)
聞き手:南部健人
写真:前田秀樹、かわえみ
『水滸伝』を読んで気づいたこと
―― 川先生が中国文学を研究されるようになったきっかけは何だったのでしょうか。
川浩二 私は1976年生まれなのですが、中国関連のひっかかりが多い世代でもあるんです。子どもの頃にNHKで『人形劇 三国志』が放送されていたり、堺正章さんが主演のドラマ『西遊記』が再放送されたりしていて、中国の物語自体に自然と親しみを覚えるような環境でした。また、世間では香港ブームが起きていて、「飲茶」という言葉が定着し始めたような時代でした。東京で生まれ育ったので、横浜中華街にも、子どものころから家族と足を運んでいました。
小学校に上がって読書をするようになり、一番夢中になって読んだのが『水滸伝』です。最初は児童向けのものを読んで、それから家にあった吉川英治の『新・水滸伝』を読んだと記憶しています。
水滸伝の主人公は宋江ですが、一番多く文章が書かれているのは武松というキャラクターです。この武松が旅の道中で、ある茶店で食事をする場面があります。
武松はそこで肉饅頭を注文したのですが、それを割って中を見たときに、何か怪しげな毛が見えたんですね。嫌な予感のした武松が「これは犬の肉か、人の肉か」と問うと、お店の人は「変なことを言うもんじゃありません。うちは代々、牛の肉しか使っていません」と答えるのですが、果たしてそこは旅人を捕らえて金品を奪い、死体を調理して饅頭にして売ってしまうという店だったんです。
―― 食事に来た旅人が被害に遭っていたんですね。
川 武松も危うく捕まえられそうになりますが、なんとか脱出します。
『新・水滸伝』では、この場面はわりとあっさりと書かれているのですが、その後に読んだ駒田信二訳の『水滸伝』では、詳しく描写されていたんです。肉まんの手触りや、それを割った瞬間の様子なんかが、かっこよく描かれていて、小説の描写の面白さを教えられたような体験でした。
『水滸伝』と食べものといえば、もう一つ印象に残っている場面があります。魯達という義侠心の強いキャラクターが登場するのですが、魯達がお店で食事をしていると、旅芸人の親子の娘がさめざめと泣いていたんです。事情を聞くと、父娘はこの土地で幅を利かせている肉屋の主人に理不尽な目にあわされていて、しかも脅されていたんですね。
こんな若い娘をいじめるなんて許せんと、一計を案じた魯達は客のふりをして肉屋を訪れ、こう注文しました。「脂身と筋の混じらない、赤身肉を切ってくれ」と。それが出来上がると、次は「脂身を同じだけ寄越せ」と。不思議に思った肉屋は、「肉は饅頭に使うのでしょうが、脂身は何に使うんですか」と聞くのですが、魯達は自分も上に頼まれただけなんだと言って、さらに続けて「赤身肉も脂身も混じらない、筋だけを寄越せ」と注文したところで、肉屋も自分はからかわれているのだとようやく気付きました。そこで魯達はいままで切らせた肉をばっと相手に投げつけ、ケンカの火ぶたが切られるんです。
さながら時代劇や西部劇での決闘を思わせるような良い場面なのですが、そこで私はふと疑問に思ったんです――「あれ、肉まんの餡に脂身は使わないんだっけ?」と。
この疑問が解決されたのは、私が早稲田大学に入学して中国文学を勉強して、『水滸伝』の原文を開いてからのことです。
駒田信二版では「肉饅頭」と訳されていたところが、原文では「餛飩」(ワンタン)と書かれているんです。つまり、駒田先生は「餛飩」だと読者に伝わらないと思われたのか、「肉饅頭」と訳されていたんですね。
ワンタンでしたら、赤身肉だけで作るのがセオリーですので、肉屋が「脂身は何に使うんだ」と聞いた理由にも納得しました。そこで初めて翻訳から分かることと、原文から分かることがそれぞれあるのだなと知りました。さらに、自分が文学を読んでいて面白いと思うのは、人の暮らしや動きが見えるような細かい描写だということがよく分かったんです。
私の専門は中国近世の文学と文化で、小説やお芝居を主に研究しています。翻訳では、これまで中国料理に関するエッセイを訳してきました。振り返れば、中国文学との最初の出あいが食べものに関わるところでもあったんですね。
食べものがつなぎ合わせるもの
中国・台湾の食エッセイを訳した理由
―― 小さい頃から横浜中華街には行かれていたということでしたが、中国に初めて行かれたのはいつでしたか?
川 最初に行ったのは、大学2年生で北京語言文化大学(現北京語言大学)に短期の語学留学をしたときです。当時はまだ北京料理のことはよく分かっておらず、そのあとに上海に旅行に行って、同じ中国でも料理はずいぶんと違うんだなと体感しました。
中国料理に強く関心を持つようになったのは、東京の目黒区にある武夷岩茶の専門店「岩茶房」と、横浜中華街にあった台湾茶を中心に取り扱っていた「三希堂」という2つのお店の存在が大きいです。岩茶房では福建省にある武夷山のツアーが企画されたり、三希堂では中国茶を通して各地域の特色を紹介する講座が開かれたりしていて、大学生の頃にそれらに参加していたんです。
中国に初めて長期で暮らしたのは、博士課程に進学してからです。2002年から2003年にかけて 、上海の復旦大学に1年間留学をしました。さいわい大学院には何人も中国のレストランでの注文が上手な先輩方がいらして、その注文を横で見ながら、メニューの組み立て方などを学んでいきました。
それと、研究に関連する資料を読んでいると、小説やお芝居について論じている人が、同時に食べものや調理方法についての詩やエッセイを書き残しているパターンが結構あるんですね。文学研究を進めていくと、どんどん中国料理の知識も増えていったんです。
そこで、私のなかである問題意識が生じ始めました。広大な土地に、多様な人々が行き交う中国では、同じ国であっても地域ごとの食文化がかなりちがっています。そして、それを綿々と書き残している伝統もある。このリアルな姿を伝えるときに、一日本人の立場でのささやかな体験を普遍化して発信するよりも、まずは彼ら自身の言葉に耳を傾ける必要があるのではないか、と。
とりわけ、近代西洋と出あった中国の知識人たちは、中国の文化を外に向けて紹介するために、それを言葉にしなければならなかった。たとえば小品文で知られた文学者、林語堂の言葉を引用してみましょう。
季節感、素材そのものの質感、味の調和といった表現は、日本人が一言でまとめる中国料理の特徴にはたしてどれほど反映されていたか。
中国料理は、日本では日本人によって、あるいは日本語で書くことのできる中国語話者によって紹介されることが、いまでも多いと感じています。中国人が中国語で書いたものをじゅうぶん咀嚼せずに、それを飛び越えて日本語で語る、また日本語で「語らせる」ということには強い不満があります。それは『中国くいしんぼう辞典』や『味の台湾』を訳すなかでより明確になってきました。
『中国くいしんぼう辞典』と『味の台湾』はどちらも食を通して、中国大陸や台湾で暮らす人々の営みを描いたエッセイ集です。
『中国くいしんぼう辞典』は章立てが面白くて、「家で食べる」「街角で食べる」「飯店で食べる」となっています。一般的に食のエッセイとなると、料理ごとや思い出などに沿って綴られることが多いと思いますが、場所(シチュエーション)で分けることで、中国料理の特徴だけでなく、人々の暮らしぶりも自然に浮かび上がるという巧みな構成になっています。
『味の台湾』はより個人的で、著者である焦桐の生活史に近い部分があります。一般的なその食べものへのイメージを裏切るような、私的な体験に根ざす印象を与えてくれる作品が多い。取り上げられる食べものはどちらかというとストリートフードが多く、家庭料理があまり出てきませんが、それはいまの台湾の食文化を表してもいるし、また著者の幼いころに家で家族と家庭料理を囲む、という経験が豊かではなかったことを表してもいます。
―― 川先生が翻訳をする根底には、中国をどう語るかという問題意識が横たわっていたんですね。実際に両著を訳されてみて、中国文学における食の描き方にどういった特徴があると感じましたか?
川 エッセイなのでやはり個人的な体験が書かれているんですけど、それと同時に食べものの由来や歴史の話がきっちりと書かれているものが多い印象がありますね。日本語の本で由来を書こうとすると専門書になってしまうと思うのですが、中国では一般的な読み物でも専門的な話とそうでない話を混ぜて書く傾向が強いと感じました。そこには歴史の流れに対する意識の強さが表れているのではないかと私は考えています。
日本語では暮らしの基盤を表す言葉として「衣食住」という表現がありますが、中国語ではここに交通を意味する「行」を加えて、「衣食住行」となるんですね。『中国くいしんぼう辞典』を著した崔岱遠先生も指摘していることですが、近代以前と以後を比べたときに、もちろん例外はあるものの、「衣食住行」のほとんどすべてが大きく変わったなかで、唯一「食」だけがまだ高い連続性を保っていると言えるんです。
一例として、いま中国のレストランで小籠包を頼むと、穴の開いたクッキングシートが蒸篭の底に敷かれて出てくるところが多いのですが、上海なんかの昔から続くお店なんかではくくって束ねた松の葉を敷き詰めたものが、いまでも使われていたりするんです。
あのタイプの蒸篭は、19世紀半ばの清朝の詩に詠われていて、つまり150年近く変化せずにいまの生活のなかにも残っているわけですね。さらに言うと、小籠包にスープを入れるのは、18世紀後半から19世紀初頭にかけてすでに確立していたとされています。どちらも中国の近代以前からの連続性を保っていると言えるんです。
やはり私たちはどうしても「近代以前」と「いま」とを切り離して考えがちなのですが、食は私たちを近代以前の世界へとつなげてくれる貴重な存在でもあると思います。
私は文学研究と翻訳に並行して取り組んでいますが、それぞれリーチできる人が異なります。研究者同士であれば、テクストや史資料にあたって自分の考えを整理し論文として発表すればいいわけですが、その外側の人たちに届けようとなると、さらに工夫を凝らさなければなりません。
そうしたなかで、日本と中国とで共有できるものとして、食文化というのは非常に良い題材だと私は思っています。中国のことが嫌いな人でも、中華料理が嫌いだ、という人は少ない。それくらい日本と中国の食文化は密接で、そうした接点から、中国への理解につなげられることもあるのではないかなと。
もっと言えば、現地の人間が現地の言葉で書いたものを尊重し、尊敬をもって翻訳する。それがいままでの中国の食文化を理解するプロセスに足りなかったところだと思いますし、その不足をいささかでも埋める仕事をしたいなと考えています。
手作り米めんから見る
雲南と台湾のつながり
――『中国くいしんぼう辞典』の「訳者あとがき」に記されていましたが、奥さまと雲南省の西双版納まで一緒に旅をされたのですね。西双版納といえば中国西南部にある、ミャンマーやラオスと国境を接する辺境の町です。
川 妻がカメラマンとして仕事をしているので、ふたりで何か一緒にやりたいねという話になって、雲南省の米めんを追いかけてみることにしたんです。桂林米粉をはじめとして、中国には各地にいろいろな米めんがあるのですが、互いに影響し合っているというよりは、自分の住んでいる地域の伝統的な作り方をそれぞれが独立して守っているんですね。そこで私たちは、タイ族が住む雲南省・西双版納の発酵米めんが作られる現場を見に行くことにしたんです。2013年のことです。
当時の中国ではSNS上にいまほど盛んに写真や映像が上げられていなかったので、インターネット上の情報も断片的なものばかりでした。ひとまず景洪という大きな町の中心地から、40㎞ほど離れた山あいの村にある東風市場で情報収集を始めました。
それも単純な理由で、そこの近くのタイ族の村で手作りの米めんを作っているという断片的な情報だけをあてにして、そこは漢族もお店を出している地元の大きな市場らしいから、そこに行けば中国語で何とか情報が集められるのではないかと考えただけのことです。
ただ、現地の人からすれば、急にやってきた外国人に、「手作りの米めんを取材していまして」と話しかけられるわけですから、もう全く相手にしてくれないんですよ。
困ったなと思っていたら、たまたま乗り合わせた三輪タクシーの運転手が、「お前たちの探しているものを見たことがある」と言って、村のなかに入っていってくれたんです。すると、さっきとは打って変わって、村の人たちも次々と情報提供をしてくれて。じっさいに米めんを作っている家族を探し出すことができたんです。
そのご家族に「発酵米めんに関するお話と、実際に作っているところを見せてほしい」とお願いすると、あっさりと許可をもらえて、仕込みの様子を見学させてもらえることになったんです。
その日の朝市で販売するため、仕込みは夜が明けるずっと前の深夜2時過ぎからスタートします。しばらく浸水させてあった米を半分蒸してから、もう半分の米と搗き合わせて、米めんの生地を作る。それを沸騰したお湯のなかに絞り落とせば、米めんの完成です。
茹であがった米めんは文字通りピカピカと光輝いていました。そこに自家製の味噌や唐辛子をちょっと振って、少しお湯をさして食べるんですけど、本当にびっくりするくらい美味しかったです。現地の人はそこに山ほどの味の素を入れようとしたので、馴染みのある味になってはいけないと、それは慌てて止めました(笑)。
できあがった米めんはバナナの葉を敷いた竹かごに入れて市場に持っていき、地面からちょっと浮かせただけの板の上に並べて小分けにして朝食として売るんです。どんどん売れていくんですけど、それでもみるみるうちに米めんからできたてのつやがなくなっていく。
それ以後もそのご夫婦のもとを訪れたのですが、3度目の訪問時には、もう米めん作りはやめてしまっていたんです。家も伝統的な民居の造りから現代風に建て直していて。こちらはもったいないと思うんですけど、しんどい米めん作りから解放されて晴れ晴れとしている感じのご夫婦にあまり残念だとばかりも言えなくて。
それからしばらくして、台湾に行ったときに、桃園空港近くのエリアにある雲南料理店で食事をしたんですね。台湾に雲南料理があることはもとから知ってはいましたが、どうして台湾に伝わっているかまでは知らなかったのですが、これも『味の台湾』の焦桐さんが書いていたので事情が分かったんです。
もちろん国共内戦の流れで、国民党と一緒に台湾に渡ってきた人が多いんですが、雲南では、タイ北部やミャンマーに逃れて、ゲリラ戦を展開した「泰緬孤軍」と呼ばれた人々がいました。そのなかには、現地のタイ族と結ばれた人たちもいたんです。
やがて泰緬孤軍専用の居住地が台湾の桃園に作られて、そこに多くの兵士たちが家族とともに移り住んだことで、雲南料理店が広がっていったんです。
驚いたのは、私が話しかけたお店の方も、お母さまが雲南省のタイ族で、場所を聞いてみると、あの手作り米めんを食べさせてくれた村のすぐ隣だったんです。お店の人たちは、里帰りビザを取得して、ときどき雲南にも帰っているようでした。やはり食べものの話を深く掘り下げていくと、そこに関わる人々の物語が見えてくるんだなと実感しました。
現代中国における食事情
「舌で味わう中国」から〝ガチ中華〟まで
―― 改革開放以降、経済成長が著しい中国ですが、食事情には何か変化は見られたのでしょうか。
川 私がいた2000年前後の上海では、いまでも残っているような高級志向の良質なレストランが次々と生まれ始めました。北京の伝統的な料理の代表ともいえる北京ダックを提供するお店も、「大董」など北京料理に広東料理のエッセンスを加えたモダンなスタイルで提供するお店が目立つようになりました。それらはレストラン評価サイト「大衆点評」と、サイトに基づき『ザガット・サーベイ』をモデルにして作ったガイドブックともあいまって、華やかな外食文化を形作っていったんです。
そうしたお金と美食が極端につなげられていた時期がしばらく続いたのですが、それが見直されるきっかけとなったのが、CCTVで2012年から放送された料理ドキュメンタリー「舌で味わう中国(舌尖上的中国)」です。
北京や上海といった大都市のグルメではなく、辺縁の町や村も含めて、中国各地で暮らす市井の人々の食文化を丹念に取材した同番組は大きな反響を呼びました。中心から遠く暮らす人たちのなかにこそ生活に根づいた食があるんだというメッセージが多くの視聴者に響いたのではないかと思います。
社会主義体制を敷く中国において、国と人をつなげるものとして、映画やテレビ番組のなかでドキュメンタリーが担う役割は圧倒的に大きいんです。そうした背景もあって、あの高いクオリティの番組が生み出されました。
ただ、日本とは全く異なる人口規模の中国ですので、ひとたび話題を呼ぶと、関連する場所に大量の人が押し寄せて、いっきに消費されつくしてしまうという面もあるという難しさもあります。
また、個人的にはやはりこれからの中国で食べものがどう書かれていくのかにも注目しています。食べものを書く散文は2000年代から数を増しており、そのぶんおもしろいものも出てきていますから。
―― とても興味深い傾向ですね。ところで、日本では、2022年頃から中国現地の味わいのままで提供する〝ガチ中華〟のお店が相次いでオープンしています。店構えや内装もそのままというお店も少なくありません。
川 町中華から派生してできた新語で、そもそも町中華の定義とはという話もあるのですが、いずれにせよガチ中華という言葉はいま定着する勢いになっていますね。
少し時代をさかのぼって、大正から昭和初期にかけて清朝から留学生が日本に来た際に、留学生向けの中国料理店が次々とオープンしたんです。そこでの料理がやがて日本人向けに味付けをアジャストしていって、いわゆる〝支那料理(中華料理)〟になっていったという歴史があります。
また戦後には、満洲からの引き揚げはもちろん、台湾から日本に移り住んだ人たちもいて、迫られて起こった人の動きが日本における中国料理事情に影響を与えています。
国という大きな存在に翻弄されて、促されるようにして移動させられた人たちは、たどり着いた先で生きていくしかないわけですね。そこで食というのは選ばれやすい分野なんです。その営み自体にすでに、同胞に向けて提供するためと、またその土地に根を下ろして生きていくためという2つのベクトルの目的があると言えます。
私はいわゆる「ガチ中華」に対しては、こうした歴史の過程と重ねながら見ている部分が大きいです。いまは日本で暮らす中国人をターゲットにして作られていて、それを日本人も一緒になって楽しんでいるという状況ですが、ここからまた日本にアジャストしながら定着する料理や食べものが出てくるだろうと思います。
これから日本にどんなガチ中華が残るのかは分かりませんが、たとえば蘭州牛肉麺なんかは、そうした可能性を感じさせますよね。日本のラーメン文化はかなり成熟していますし、そこにあの特徴的な打ち方をする麺が入ってきても、そこまで違和感はないと思います。日本で蘭州牛肉麵インスパイアの新たなラーメンの形式が定着する――そんな未来ももしかしたら見られるのかもしれませんね。
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