Withコロナ時代のアジアビジネス入門㊾「<ウクライナ愛>溢れるポーランド」@歴史からの視点
ポーランドに避難する歴史的な理由
ロシア軍の本格侵攻でウクライナからポーランドに避難する住民が増えている。ウクライナの原型とされるキエフ・ルーシが起源のキエフ大公国(9~13世紀)はモンゴル帝国に滅ぼされ、その後、ポーランド・リトアニア共和国に支配・分割されるなど歴史の変遷を辿った。
<「自由と夢物語の魅惑の地」、「御伽噺から抜け出たような光景」、「狂おしいほどに彩り豊かな国」。十九世紀ポーランドの画家たちが、この上ない賛美の言葉を献じたのは、ウクライナであった>
『ウクライナの発見―ポーランド文学・美術の十九世紀』(藤原書店)の著者である文筆家で元外務省職員の小川万海子氏は、かつて近世のポーランド・リトアニア国家がほとんどの領域を占めていたウクライナは、絵画の分野だけでなく、ポーランド文学においても、重要なテーマをなしていると同書で紹介している。
ヘウモンスキが描いたウクライナの少女
その象徴がポーランドの画家ユゼフ・ヘウモンスキ(1849~1914年)であり、ウクライナの広漠たる大地を満たす神への賛歌を描いた。代表作の『遊糸/ Babie Lato』(1875年、ワルシャワ国立美術館所蔵)について、とおる美術館のブログは次のように紹介している。
<果てしないほどに広がるステップ(草原)。大地の土には緑が染み入っていて、それ自体が無限の生命であるかのようだが、そこに、横たわった少女がまた、生き生きと描かれている。白いスカートに、刺繍が見られるクリーム色のたっぷりとした上着を、身に着けている。頭には、黄色の布を巻いている。題名の「遊糸(ゆうし)」とは、クモの子などが、自らが出した糸でもって風に乗り、移動するさまをいう>
<少女は、右手でクモの糸を風にたなびかせて、幸福に楽しんでいるのだが、杖の形をしたものにも糸が付いていることから、まず、この道具で宙を飛んでいく遊糸を集めて、右手に持ち替えたものと思われる>
<すこし離れたところに、黒い犬がいて、遠くを見つめている。その遥か向こうには、牛などの家畜と、ひとびとが見える。地平線は、ごくわずかに曲線を描いていて、地球の丸さを意識させるかのようだ>
ポーランド芸術の「母なるウクライナ」
小川万海子氏によると、ポーランド語における「ウクライナ」とは、遥か遠い地、辺境地帯を原義としており、人の心にこの世の果ての風景を思い描かせる響きを持つ。また、かつての東部国境地帯として、ウクライナはポーランド人に、今や失われた土地に対するある種独特の郷愁と憧憬の念を呼び起こす。19世紀ポーランドにおいて、ウクライナは、ポーランド民族、文化の揺籃の地、すなわち「母なるウクライナ」として認識されていた。
ロシアのプーチン大統領は「ウクライナは単なる隣国ではなく、我々自身の歴史、文化、精神的空間の切り離しがたい一部なのである」とことさら強調する。一方で、複雑に入り込む歴史の経緯から、ウクライナでも首都キエフを流れて黒海に注ぐドニエプル川の西側に住む人々にとって強圧的なモスクワよりポーランドの方がより心情的に親しみがあるのではないかと推測する。
<非モスクワ>とNATO加盟のポーランド
ポーランドは1989年の東欧革命で民主化し、共産圏から転換した歴史を持つ。米国などの北大西洋条約機構(NATO)に加盟し、ロシアに対峙する側に立つ。今や<非モスクワ>のウクライナ(人口4200万人)の国外避難民が400万人に達するとの予測がある中、その多くはポーランドに向かうとみられる。焦点となる米国とロシアのパワーポリテックスばかりでなく、ウクライナの人々に根差す<歴史が刻んだ心性>を見逃すことはできない。
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