ファッションデザイナー:杉野芳子
「戦後女性感謝プロジェクト」へようこそ。
今回はファッションデザイナーであり、学校経営者でもある 杉野芳子( すぎのよしこ)を紹介します!
1. どんな人だったの?
杉野芳子(1892年-1978年)は千葉県に生まれ、ニューヨーク留学を経て、帰国後に日本で活動したファッションデザイナー・学校経営者です。
22歳のときに単身で渡米し洋裁を学び、日本で杉野学園ドレスメーカー学院を創立。服飾技術を身に付けることで、日本の女性が自立できるようにという想いを持っていました。「ドレメ式洋裁」を考案し、当時、洋服はオーダーメイドしかなかった日本に安価で良質な洋服を普及させました。日本で初のファッションショーを開いたのも、彼女です。
(参照:https://www.suginokai.jp/story.html)
彼女の洋裁記事は新聞に34回連載され、型紙付きのものもありました。
戦後は何度もフランスに渡り、デザインや裁断を学び、クリスチャン・ディオールやジャック・ファットといったファッションデザイナーとも交流がありました。
杉野芳子はなんと、日本鉄道省初の女性職員でもありました!
2. もっと知りたい方へ
3. 隊員からのメッセージ
これから「戦後女性感謝プロジェクト」の記事を書いていくことになりました、明日少女隊で杉野芳子として活動させていただいているメンバーです。高校3年時に明日少女隊に入隊しました。日本の高校を卒業し、現在はアメリカの大学で勉強しています。よろしくお願いします!
私がアーティスト名として杉野芳子を選んだ理由は、母がドレスメーカー学院(社会人向けフレックス科)に通っていたことがあり、馴染みがあったからです。明日少女隊入隊時、アーティスト名を決めることになりましたが、私は戦後に活躍した女性をほとんど知りませんでした。杉野芳子についても存じ上げませんでしたが、調べていくうちに、「女性も活動的になれる服装を広めたい」「女性が技術を身に付けて自立できる社会を目指す」という彼女の考え方に感動し、アーティスト名とさせていただくことにしました。
私も現在、杉野芳子と同様に一人で留学していますが、杉野芳子が活躍した当時は、女性が一人で渡米や学校創立をするにはたくさんの困難が伴ったでしょう。そのような中、日本の女性たちの自由のために活動した彼女は、私に、彼女のように女性やマイノリティが生きやすい社会構築へ少しでも貢献できるよう頑張りたいと思わせてくれます。
「戦後女性感謝プロジェクト」で次に紹介するのは、河崎なつ(教育者・政治家・女性解放運動家)です。お楽しみに!
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記事:杉野芳子(明日少女隊)