娘らしさは、娘だけのもの
娘の通う保育園で、保育参観があった。
1歳児クラスの娘にとって、はじめての保育参観。
もちろん、私にとっても、はじめてである。
保育参観の目的として、「子どものふだんの自然な様子を参観する」である以上、園児たちに「パパ・ママが見てる!」とバレてはいけない。
というわけで。
当日は先生たちが教室の窓を覆い、「隠す」作戦を実行していた(覆った紙には穴がいくつも開いていて、そこから親がこっそりのぞくのである)。
保育園での娘、どんな感じだろう。
先生から話を聞いたり、連絡帳に書いてある内容から察するに、おとなしく周囲の様子をうかがいながら過ごしているのかなぁ。
予定されていた参観時間は1時間。
音楽に合わせて体操をしたり、外国人の先生と英語の時間があったり(その時間は英語オンリーで、日本語は一切禁止だそう)、園児たちの集中力が途切れないように、次々とプログラムが組まれていた。
みんな同じ1歳とはいえ、もうそれぞれの個性が大爆発。
お名前を呼ばれて「はーい!」と元気よくお返事する子もいれば(娘はかたまって座ったまま)
英語の先生が「ハイタッチ!」を合図したときに、真っ先にかけよっていく子もいるし(娘は一番最後に立ち上がり、スリーテンポくらい出遅れ、結局ハイタッチできず)
窓の穴からのぞく親に気づき、こちらと目が合う子もいた(娘は一度も窓の方を見なかった)。
いや、もう。
とにかく終始「娘らしいなぁ」と微笑ましかった。
踊ったり走ったり、歩くのも動くのも家では大好きなのに、保育園では一切やらず。たまに、あくびしたりとかしてた。
ただ、先生がみんなに絵本を読んでくれている時は、真剣な顔で一所懸命聞いていて。
その絵本に出てくる、くまさんに関連した製作をしましょうとなった時は、「やりたい!」が前面に出て、明らかにテンションが上がっていた。
サクサクと椅子に座り、みんなに画用紙やクレヨンを配ってくれている先生を「私のは?私のは?」と言う顔で、何度も見上げていた。
クレヨンは2人で1箱を使う、となっていて、どうやら娘は隣の席の女の子と共有する様子。
そのクレヨンの箱をワクワクした顔でのぞき込む娘。
真っ先に手にしたのは緑色。
グイグイとなにやら描いている。
そして次に、別の色を取ろうとして、隣の女の子とちょっと揉めて。
折り合いがついたようで、オレンジ色を手に。
またグイグイ。
そして、また緑。
その後は、シールをペタペタ。
集中して1人で仕上げていた(もちろん、先生が補助してくれている)。
製作がはやく終わった子から、自由に好きなおもちゃで遊んで良いようで、娘も椅子から立ち上がり、レゴのほうに向かう。
ピクリとも動かなかった前半の様子とは裏腹に、1人でなにやら楽しげに遊ぶ。
すこししたら、「お片付けしよー」と先生がみんなに声をかけていて。
娘も嫌がらずに、手にしていたおもちゃを箱に入れていた。
どの子もみんな、自由でそれぞれの気の向くままに過ごしていて。
「集団行動でのあるべき姿」なんて、本当に大人が判断しているだけのこと。
「教育」って、「その子らしさ」って何なんだ、と思う。
親が子どもに教えることなんてない。
ただ一所懸命に、親自身が、子どもが「大人になるって楽しい」と思えるように生きていくことしかできない。
子どもの行動や価値観を制御したり、矯正したりすることなどできない。
その子らしさは、その子自身のものだから。
私は保育参観での娘の姿を見て、私と一緒にいる時とは違う娘の姿に、ホッとした。
接する人や場所など、外部からの刺激に娘なりの反応があるということだから。
初めてのことには苦手意識があるのも。
みんなより遅れて動くのも。
娘のペースがあって、個性なんだなぁと思った。
娘らしさ、である。
私はただ、娘のペースや価値観を知っていく努力をすることしかできない。
そうやって、娘と一緒に成長していくんだ。