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ピロートークしてますか

「共感能力が落ちてるのかなぁ」

昨日のピロートークは、そんな始まり方だった。
最近観た映画の原作となっている書籍へのレビューや、ヤフコメの反応などについて、夫のマッドさんとピロートークした時の話だ。

コロナ疲れが何年も続いているところへ持ってきて、ウクライナの問題。
皆んな精神的に余裕が無いせいかも知れないね。

反射的に否定したり、揚げ足取りをしたり、自論を押し付けてバッサリ切って捨てたりする、そんな論調に対して、私たちはそんな結論に行き着いた。

我が家は、ほぼ毎晩のようにピロートークをしている。
特に習慣にしようと約束したわけではない。何となくこうなっている。
正解がどうか、なんて事にも、あまり拘らない。
内々のピロートークなので、周囲からの反応とも無縁でいられる。

自己肯定感が低く、認知に歪みのある2人なので、こうやっていちいち、「どう思う?外してないかな。そうだよね。」
なんて確認し合う作業は、健常な人に比べると、かなり必要なのは確かだ。


「あれ、私のこういう部分って、もしかしたら認知の歪み?」
なんていう発見も有ったりする。

昨日気がついたのは、「甘える」という行動についてだ。
会話の内容はさして重要ではないので省くが、行き着いた結論はこうだった。

私の場合、“甘える”という行動に関して、親から徹底的に否定されて育ってしまった。
必要以上に自分に厳しくすることを強いられ、その上親に甘えるという事すら知らなかったので、「甘え」という言葉が連想される物に関しては全て、“してはならない事”というカテゴリーに入っている。

例えば、しなければならない事の期限が迫っているにも関わらず、放置して「出来ませんでした」と言えてしまう甘えと、「具合が悪いから、夕飯の支度が出来そうに無いので、休んでいても良いかな」と言う甘えが、どちらも「してはいけない事」に分類されている。

上記2つの扱いが違って良いという認識は、他者との関わりで苦労しながら手に入れてきた事で、今ではある程度上手に扱えるようにはなってきた。
が、認識の中ではどちらも“悪いこと”なので、「具合が悪いから」と相手に伝えるだけの事に、大きなストレスがかかる。


こんな風に、一緒に観た映画やお互いが読んだ書籍、その日に頑張った事や成果を、思いつくままピロートークしている。
ちょっとアルコールも入って、ゲラゲラ笑いながらお馬鹿な話をして終わることも有る。それはそれで楽しい。

ピロートークする相手がもし居なくても、映画や書籍で知った事を通して、自分を透かして見ることも良いかも知れない。
思えば、独り暮らしの時、そうやって自分とピロートークしていた覚えがある。
寝る前にぼんやりと、自然に睡魔が来てくれるまでの間。
体の疲れを取る睡眠の前に、心の疲れを取る、少しの時間。

ピロートークは、極上のご褒美かも知れない。


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