子どもを助けられるのは大人しか居ない
旭川の女子中学生凍死事件に思う
やりきれない思い
昨日、少年院という重いテーマで記事を書いたばかりだったのだが、公開して程なく、今度はこんなニュースを目にすることになった。
爽彩さんの痛ましい事件を初めて知ったのは、文春の記事だったと記憶している。
旭川市教育委員会
「いじめの認知にいたらなかったことを深く反省し、ご遺族の皆様に心痛と負担をおかけしたこと、大変申し訳なく思っており、この場を借りて心から深くお詫び申し上げる。」
社会からは、「いじめではなく犯罪だ」との声が多く上がっている。
凄惨ないじめの内容、教育現場の対応を考えると、無理もない事だと思う。
後の祭り
担任、学校、教育委員会が何をやっていたのかという非難が上がっているが、私もつくづくそう思う。
爽彩さんのお母様から相談があった時、なぜしっかり向き合ってくれなかったのか。加害生徒の育成環境や性質に、何かしらの問題が有ったかも知れない。
もしそうであれば、児相、小児精神医療、スクールカウンセラー、ありとあらゆるサポート体制を駆使して、適正なケアが出来たのでは無いか。
それが出来ていれば、爽彩さんが命を落とす事も避けられたのでは無いか。
保身に走る大人
文春の記事を鵜呑みにする事はしないが、余りにもずさんな対応と言わざるを得ないし、これほどの時間をかけないと認知に至れなかった教育委員会とは、いったい何なのだろう。学校の先生達とは。
大人たちが、問題に立ち向かう姿勢を見せないのであれば、子供たちが頼っていく先など無くなる一方だ。
もしかしたら、行き場のない怒りを抱えていたかも知れない生徒が、加害側に居たかも知れない。そういう子どもを見つけて手を差し伸べる機会まで、保身ゆえ簡単に捨ててしまった事になる。
犯罪を犯罪として裁くことは確かに必要だが、いじめが犯罪レベルにまで達する前に、周囲の大人たちに出来ることは少なくないはずだ。
非行の段階でしっかり大人が向き合って対処する事で、こういう犯罪は減っていくはずなのだ。
命を助けてあげられなかった子。
健全な人間関係を築く機会を失ってしまった子。
大人たちの責任は、あまりにも大きい。
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