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振り返れば幸運だった①沖縄での住まいと周りの親切
今から振り返ると、けっこうな数の幸運が起こっていたことに気づいたシリーズ。
2016年12月からの第一次沖縄時代は、面接の当日に採用の連絡をくれた。
「当日に採用結果がわかれば部屋を探して帰れます」と面接で話したのを考慮してくれたのだが、勤務は5日後なのはまだわかるけど、続いて総務のほうから「それまでに健康診断を受けてきてほしい」と言われた。これで部屋探しどころじゃなくなる。
それでも怒涛の幸運というか、沖縄に行く流れが強烈に来ていたので、
①採用結果の後に沖縄市の民宿「久保田荘」へ移動し、何年か泊まりに行ってて仲のいい女将さんに「住む部屋が決まるまで東京で育てているガーデニング(植木鉢)を預かってほしい」と頼んで引き受けてくれた。
女将さんの趣味はガーデニングなので、東京から段ボールに入れた植木鉢を8個ぐらい送りつけて、結局半年ぐらい預かってもらった。
②トランクケース1つぐらいの荷物で5日後に来て、ビジネスホテルに泊まって勤務開始した。移動はレンタルバイク(原付)で。
土日になると宿泊代が高くなるので、当時は沖縄県は民泊特区だったので民泊アプリ「airbnb」で民泊の意味もわからないけど予約した。あの頃は、民泊もゲストハウスも泊まったことがなかった。幸い、場所は泊まってたビジネスホテルからすぐだった。
③初めてなので、民泊で身ぐるみはがされたらとか無知ゆえの不安を持っていたが、なぜかその日は玄関のドアをオーナーが開けてくれていたので、中を確認して大丈夫そうだとわかって声をかけた。
民泊は3LDKのライオンズマンションだった。オーナーに
「仕事が決まってるけど、部屋がまだ決まってないんです」
と説明すると、職場のことも知っていて安心してくれたのか
「だったら、ルームメイトが引っ越した部屋が空いてるから、その部屋で長期滞在してもいいわよ」
と言ってくれたので、賃貸の部屋を借りるまで住むことになった。
当初は、民泊1泊の料金×日数で払っていたが、途中から家賃相場に合わせて安くしてもらえた。ラッキー🌟
④他人と住むのは初めてだったけど、なぜか平気だった。3部屋あるのでオーナーと俺以外にも民泊で外国人がほぼ泊まり来ていた。
オーナーがいない時には、宿泊するフランス人にお風呂の使い方を説明してと頼まれて
「フランス語できないですよ、、」
「大丈夫、英語通じるから」
って、なぜ俺の英語でも大丈夫と思ったのかわからないが、話したら適当な英語でも通じることがわかった。おかげで英語を気楽に話せるようになった。
宿泊客の香港から来た人に首里城への行き方を教えると仲良くなり、
「香港に来たら案内するから」
「え?来月香港出張あるんだけど」
ということで、本当に仕事の後に香港を案内してもらえた。超ラッキィ!
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⑤民泊のオーナーから壊れた原付をもらって、5万円で修理できたのでレンタルバイクのレンタル代4か月分で元が取れた。さらにバイク屋の店長とも仲良くなれた。
⑥民泊(ルームメイト)で4カ月半住んで、やっと賃貸の家具付きの部屋を部屋を近所で借りた。洗濯機から掃除機、電子レンジ、電気ヒーターまでそろっていた。
当初、家具梨物件を借りようとしたら、そっちは話がまとまらなくて、結果的のすぐそのあとにこの家具付きのもっといい部屋が見つかったから、本当に天の采配なのかと思う。
同じ町内の3丁目から1丁目への引っ越しなので、タクシーで荷物を引っ越ししようとしたら、上記のバイク屋の店長が「19時過ぎなら軽トラ出してあげるよ」といってくれて、ただで引っ越し手伝ってもらった。お礼にタクシー代を渡そうとしたら、
「いいよお金は。その代わり、店の前の自販機でコーヒー買ってくれたらそれでいいよ」
といってくれたので、感謝してお言葉に甘えた。ありがとう。
⑦引っ越しする時に民泊のオーナーから僕が使ってた布団一式をもらった。
さらに、食器や包丁を引っ越す知り合いからもらってきたからとそれも一式もらった。
「テレビはないんですよ」とバイク屋の店長に言うと
「数日待てばもらってきてあげるよ」
と、本当にもらってきてくれたので、ただでテレビもゲット!すげえ幸運🌟
店長の知り合いの福祉施設でまだ全然観れるけど、画面の端にかすれがあるから捨てるというテレビだったけど、東京の部屋のテレビよりデカくて2画面分割機能もあった。
店長ありがとう。だけど、残念なことに東京に引っ越してスマホを落として、店長の連絡先をなくして、2019年に行くと店が引っ越して連絡がつかなくなった。写真はあるけど、SNSを交換しておけばよかった。民泊の隣のマンションで住んでいたのもあって、よく店に遊びに行ってた。
⑧冬になってさすがに布団が少ないので、沖縄のお母さんの赤田さんに
「寒いー」と電話すると
「クリーニング出してそのまま使ってない毛布あるから、持って行ってあげる」
と車で持ってきてくれた。言ってみるもんだ、ラッキー🌟
⑨東京に引っ越しする時に、不動産屋に事情を説明すると1年住まないと違約金が発生するが、その月の家賃の日割りなしというほうにしてくれた。また、この賃貸に住んでもいいぐらい静かでよかった。
⑩引っ越し時にジモティーでバイク(ヘルメットと自賠責保険9年付)は2万円で売れて、テレビは千円、毛布まで500円、もらったかりゆしウェアの喪服も500円で売れた。ほぼもらった物なのに、売れて助かった。
さらに、かりゆしの喪服を買ってくれた人にたまたま知ってることの相談に乗ったら、引っ越し祝いだからと1万円くれた。東京への荷物や植物の送料が必要だったから、このお金は本当に助かった。
(だから、この人にもお礼が言いたいんだけど、スマホを落として連絡先がわからないし、LINEもあるけど、やりとりがもう出ないからどの人かわからない。)
とまあ、住まいに関して覚えてる部分だけでもこんなにも親切にしてもらっていた。
赤田さんにもらって使った毛布を300円でジモティーで出したのまで売れて、取引先のコンビニ前にいくと、老夫婦が来たので紙袋の毛布を見せて
「これですけど大丈夫ですか?」
と聞くと、OKで500円玉を渡されたので、
「じゃあ、コンビニで崩してきますね」
というと、おばあちゃんは
「いいのよ、取っときなさい」と500円をそのままくれた。
もらった毛布を一冬使って、ダメ元で300円でジモティーに出したら売れただけでじゃなくて、200円多くくれるって、、このおばあちゃんは実は天使なのか?と思ったほど。おばあちゃん子だったのもあるけど、その時の感動はもう何十回と人に話している。優しい。。
沖縄では、こんなにも親切を受けていた。だから、また住もうと思う。
1年5カ月しか住んでないのに、沖ツラ(『沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる』)のように異文化(沖縄独自の文化)のインパクトを受け、人とも知り合うことが多かった。そして、本当かどうかわからないけど、神人のおばあちゃん先生も僕のご先祖さまも沖縄に住んでいたというので、ご縁が深いのだと思う。
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