【ピリカ文庫】サボテンの花が咲くころ
その夜は「先生への感謝と自分たちの卒業祝いの食事会の相談」という長たらしい名目で、同級生4人が、大学近くのいつものチェーン店居酒屋に集合していた。
「江崎先生へのサプライズは果歩子に頼んでいい?買った物とレシートの写メ、メールでみんなに流してくれる?」
プ、プレゼント係?重大任務だ……。
江崎ゼミのリーダー、サトちんにそう言われたら、はいと言うしかないだろう。
店はあっちゃん激推しのおしゃれなイタリアンに決まり、サトちんがその場で予約を入れた。
この日バイトで来られなかったタキくんには、後でユウキが知らせておいてくれるそうだ。
去年のクリスマスからつきあい始めたふたり、卒業してからもずっとうまくいって欲しい。
◇◇◇◇◇◇◇
マイナーな英米文学作家ばかり扱う江崎ゼミは、うちの学部の中でもかなり浮いていた。
「シェークスピアとか、ヘミングウェイとか、そういう有名なやつじゃないんですか?
マッカラーズって誰?男?女?知らん!」
サトちんの開口一番に、初顔合わせの席で緊張していた私は、たまらず吹き出した。江崎先生も。
あの日からもう二年。
この春、私達は卒業を迎える。
初めて目にする作家や作品に、サトちんじゃないけど、誰よ、と言いたくなった。
江崎先生が扱うテキストは難解で、みんなほど語学が得意ではない私には、原文を読み込むのも大変な作業だった。
かなり鍛えられたと思う。
テキストを読み解き、作者の意図を探り、意見を述べ合う楽しさ。
物語を分析していく達成感。
導いてくれた先生と共に学んだ仲間たち。
◇◇◇◇◇◇◇
江崎章先生。
大学を卒業後、証券会社に就職。
一年で退職し、同大学院に入学。
卒業後、渡米。
留学三年目の夏に帰国。
非常勤を転々とし、この大学が初めての専任と自己紹介で話してくれた。
「31だって。彼女とはアメリカ行く前に別れたらしいよ」
どこでどうやって得た情報なのか、ユウキが、私とあっちゃんに教えてくれた。
「間瀬さんも、飲むよね?」
グレーのマグカップに先生が淹れてくれる濃いめの珈琲。
私は美味しい珈琲目当てで、誰よりも早くゼミ室に着くようにしていた。
「本がすごく好きなんだね。間瀬さん、丁寧に読むから、作者も嬉しがってるだろうなー」
ご馳走になってばかりなのがわるくて持参したおからクッキーを、先生はかじりながらそう言った。
「先生も、そうでしょう?」
私の問いかけに、珈琲をひと口飲んでからの、
「そーでもない」
窓の向こう、どこか遠くを見ている横顔。
一瞬だけ感じたドキッは、熱い珈琲と一緒に慌てて飲み込んだ。
「本がすごく好きだから、大学の先生になったのかと思ってました。会社辞めてまで」
「今だにまだよくわかんないんだよ、自分でも。
まあ、生きてりゃいろいろあるよね。
なんだかんだ言って……たぶん、好きなんだろうね」
先生の言葉が、沁みた。
春から始まる新しい生活への不安。
日々異なる感情が湧きあがるのは、卒業が近づいてきたからなのか、社会人になる自分への戸惑いなのか、よくわからない。
「間瀬さんが今好きなものは、この先ずっと持ってていいんだよ。
好きって大事なことだからさ。生きてくときの御守りにもなるから。
君たちが卒業してもこの部屋はあるし、僕もまだ当分はここに居るし。
何が言いたかったかと言うと、いつでも遊びにおいで、っていうことです」
先生は、大人だなぁと思った。
◇◇◇◇◇◇◇
予約したイタリアンの店は、大学のある駅から二駅隣りの、各駅停車しか停まらない街にあった。
古民家を改装した和洋折衷な設えに、あっちゃんが薦めた理由がわかる気がした。
渋みの少ない赤ワインや美味しい料理で、私達はいつも以上に饒舌だった。
「それでは我らが江崎先生に、サプライズがありまーす!」
ニ本目のワインが空く頃、サトちんが、リボンが掛けられた箱を先生に渡した。
「いよーおっ!!」
タキくんの威勢のいい合いの手につられて、一同拍手。
箱から出てきたのは、深緑色の球体。
まん丸なサボテン。
先生は、細い棘に触れないよう鉢をそっと手で包みこみ、テーブル中央に置いた。
果歩子が選びましたとユウキに言われ、急に照れくさくなった私は続けた。
「ゼミ室に置いてもらえたらと思って。
水やりはたまにで大丈夫だし、窓際なら日当たりも十分だと思います」
「みんな、ありがとう。大切にします」
サボテンが嬉しそうに見えた。
◇◇◇◇◇◇◇
「サボテンの花が咲きました。見にきませんか?」
グレーのマグカップ。
江崎先生のアイコンだ。
これ、ゼミの共有グループメールの方に送信したつもりが、私だけに間違って送っちゃったのかも……。
その数秒後、届いたメッセージ。
「あの美味しいクッキー、お願いします」
今日会社帰りに買って帰ろうと思うと、心が弾んだ。
サボテンの花は、何色だろう。
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お読みいただき、ありがとうございました。
※見出し画像は「みんなのフォトギャラリー」から鹿野がんこさんの「5月の日記 3日め」をお借りしました。ありがとうございました。
毎回楽しみにしている「ピリカ文庫」、お声かけに私?!本当に?と驚きました。
と同時に、テーマのある創作に挑戦してみたいと心の底から思いました。
テーマは「卒業」です。
ピリカさん、このような貴重な機会をいただきありがとうございました。