カツセマサヒコ著 「明け方の若者たち」に寄せて
ルールなんてない。あるのは法と人の目だけで、もちろん法は守らなくてはならないものだけれど、こうでなきゃいけないなんてことなんて、どこにでもあるようで、きっとどこを探しても見つからないのだ。
作中で語られる"人生のマジックアワー"を通り過ぎて早くも3年が過ぎた。そんなこと自体を簡単に否定したくなるような生き方をしてきたように思う。日の出もなければ日没もない、だからマジックアワーなんてものもないが、いつでも辺りを見渡せば薄明。あの頃に輝いて見えていたものは、よく見ればチリばかりだった。
部屋の隅に積み上げられたインディーズCD、石を飛び越えるようにあちらこちらのジャンルの文庫や漫画が並ぶ本棚。それらを脇に見て、飲みかけのペットボトルや、空いて潰れたビール缶、脱いだままの服と散らかった灰皿の中だけで今日も生きた証が渦巻いている。片手に収まる程しかない「こんなはずだった」を抱えながら、抱えきれないほどの「こんなはずじゃなかった」を、とうとう口に出したあの頃からきっと大人になっていたのだと、今思い返せばそんな風にも感じる。
なにも考えずに見えない何か(決して自分ではない得体の知れない像のようなもの)に手を引かれ続けた学生生活の先、とある大きい方に分けられる会社の中で、FAXを何十通と送信するだとか印鑑を斜めに押すだとか、新年には真っ白なタオルを配り歩くだとか、そういった類の昭和を生きていたあの頃。外から見られるステータスだけは立派だったりして、周りの友人よりきっと収入も悪くない中、天狗鼻をぶんぶんと振り回していて歩いていたらいつの間にか自分がなんだったのかわからなくなった。その長く太く伸ばした鼻でたくさんの人を裏切り続けてとうとう死んだ。もう一度立ち上がろうとしたときに振り向く者はなく、一度レールから外れれば、何者でもなかったという事実だけが転がっていた。それからしばらく、書く、ということを生活の根にしてから1年半くらいになろうとしている。何に引かれて進むでもなく、今日こうしたい、明日こうなりたい、となんとなく生きているだけの今が、ようやく自分の生き方ってやつなのかもしれないと思い始めている。いつからか憧れているフジロックには、未だに行ったことがない。
書くことを始めてから、著者であるカツセ氏に憧れて町田に移り住んだ。以前から長く飲み歩いていた街には、引っ越した時のあの新鮮さがなく、自宅からかなり離れた駅まで往復を続ける毎日だった。本当ならもう少し会社に近いところでラクに生活をしても良かったし、朝起きることはなによりも苦手なので、そうするべきだったと後悔したことは数えきれないほどある。それでも酒飲みが多いことが良いことでも悪いことでもあるこの街で、若者がなんとなく近くで集まるのに都合の良いセフレのようなズルさを持ち合わせるこの街で、カツセ氏が見る景色と同じ景色や、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた小田急線で通勤する景色の中に、「書く」ことのなにかも都合よく詰め込まれているような気がして、なんとなく住み続けている。そのなにか、が見つかったかどうかはわからない。
彼が本書を初出版するこのタイミングに、街では芸人の女性問題について見解が飛び交っている。会ったこともない人の目に触れても構わないと、ニュースサイトが発信しているアカウントへ壁当てされているその突き刺すような正論の向こうで、誹謗中傷は悪だと声高に訴えていた声が卑しく笑っているのが見えた。
探してみたものの見つからなかったが、いつだったか、カツセ氏が芸能人のあれこれについてツイートで口出しするようなことはしないと発信していたことがあった覚えがある。それら全てをぶん殴るような清々しさすらある本書を見たら、壁あてされたあの声はどんな表情を見せるのだろうか、と口の緩みと行方知らずの誇らしさで、あの頃伸ばしてへし折られたこの鼻がきゅっと高くなる。
忘れて良いことが山ほどあって、忘れてしまったことはそれよりももっと多いはずで。これから先いいことも悪いこともなるべく覚えていられたらいいけれど、そんなわけにもいかないのだと思う。それでも忘れちゃいけないことなんて誰に決められるものではなく、忘れてしまうことが悪であるとは限らない。やっぱり探しても見つからない、「こうでなきゃいけない姿」を追いかけながらも、間断しないこんなはずじゃなかった毎日の傍ら、明大前や高円寺の夜の公園でお前が生きていたことが、なによりも心強い。
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