限界知らずの2年連続MVP!「人生最大の無双モード」に訪れる終焉
「バカバカしい」
きっと、そう思う人が大半だろう。
『努力って楽しい』
世界的企業・ソフトバンクの新入社員研修。
研修教室の後ろの壁に、妙に印象的なそのフレーズが、でかでかと掲げられていた。
ソフトバンクの企業理念やバリューについて、ブランディングの一環として繰り返し学ぶ研修の中で、
この言葉は何度も何度も私たちの前に現れた。
「また言ってる・・・」
「きれいごとじゃん」
「ブラックかよ」
周りからは、そんなつぶやきが漏れ聞こえてきたりもしてました。
でも、私は違った。
この言葉に、心の底から感動していたんです!
そして、その感動は確信へと変わっていき、
この言葉こそが、私の人生を加速し、大きく変えることになるとは、
その時はまだ知る由もなかった ー
想像を超える社会人と競技生活の両立
フィンスイミングNo.1
配属された部署は、国内でも1、2を争う某大手家電量販店の担当部署。
その中でも私たちの課は本部担当として、会社・先方・現場社員すべてのハブとなる重要な立場でした。
自社の本部・営業・販売員。
お取引先の本部・営業。
すべての接点を担う、まさに社の要とも言える部署。
そこに放り込まれたのは、新入社員の私でした。
ソフトバンクにはNo.1採用という、700名を超える新入社員のうち20名程度しかいない「何か一つ自分のNo.1とそこに至る経験」についてプレゼンするだけという採用方式がありました。
私はもちろん「フィンスイミングNo.1」として今ままでの経験を振り返り、どんな取り組みNo.1を勝ち取ったのかについて資料を作りプレゼン。よくある入社面接とは違い、本当に私の経験についてしか聞かれない面接はとても意外で、すでに楽しかったのをよく覚えてます。
他には「学力No.1」や「マジックNo.1」、「野球No.1」、「ビジネスアイディアNo.1」、「琴No.1」、「努力No.1」などなど、自分では到底及ばない尊敬すべきNo.1がいて、皆、もれなく多忙な部署に配属されていった。No.1採用で集まると本当にたくさんの刺激を受けて楽しい時間でした。
ベンチャー気質の高いソフトバンクの、圧倒的なスピード感。
抜かりなく・妥協なく徹底的に突き詰めていく社風。
新卒ながら任せてもらえる仕事の量は想像を遥かに超え、常に文字通り1分1秒を争う戦いの日々。
朝8時過ぎの出社から、終電がなくなる1時前頃まで。
「これは、ある意味、別次元のトレーニングだ」
その言葉が、ふと頭をよぎったものでした。
激務の日々
4月、桜が舞う季節。 ようやく東京に戻ってきた私を出迎えてくれたのは、懐かしい仲間たちの笑顔と賑やかな練習でした。
「おかえり!」
鹿屋での4年間、ひとりぼっちのプールで夢見ていた光景が、今、目の前で現実となっている!
しかし、研修期間が終わると、練習時間の確保は、至難の業でした。
唯一確実な練習機会は、毎週水曜日のノー残業デーのみ。
あとは時期や仕事の進捗と相談しながら、平日は週に2回できたらラッキー!
土日も、決して安息の日とは言えず・・・。
四六時中、現場から鳴り止まない業務用スマホ。我々本部は土日休みだが、実際に店頭に立っている人たちは土日が正念場だから。
更衣室で水着に着替えながら、ロッカーの扉を閉めるその瞬間まで、電話を手放せない日々でした。
普通なら諦めてもおかしくない状況。
でも、不思議と私の心は前向き。
それどころか、この困難な状況に、燃えるような闘志を感じていました。
「より厳しい環境だからこそ、より創意工夫ができる」
「制約があるからこそ、質を高く、本気の集中力が出せる」
そう。あの言葉が、私の中で生きていたんです。
『努力って楽しい』
研修で出会ったこの言葉は、単なるスローガンではなく、
それは、私の人生の行動指針となっていったのでした。
日常のすべてを競技に - デスクワーク=体幹トレーニング
練習もトレーニングも満足にできないこの状況をどうするかー️。
「忙しいから、仕方ない」
そういう言い訳は好きじゃない️。
この現状を選んだのは自分だから️。就職を選んだのも自分。競技を辞めないのも自分。仕事を辞めないのも自分。
環境が変わらないのなら自分が変わるしかない。鹿屋での経験が自然と自分をそうさせた気がします。
何も競技力を上げられるのは練習の時間だけじゃない。むしろ2時間しかない練習時間よりも残りの22時間の方が大切だろう。そう考え、あらゆる時間を競技力向上にあてました。
移動時間
大学院時代に習った肩と首の姿勢を意識しつつ、体幹は腹筋の適度な収縮と骨盤後継を意識して歩く。
歩く際は大腿四頭筋ばかり使わないよう、ハムストリングスと臀筋を意識し、歩き出しはフィンを履く時と同じ右足から。
満員電車
一番すごいと思うのは、満員電車の過ごし方…
私は大田区から新橋駅へ、当時のソフトバンクの本社がある汐留ビルへ通勤していたんですが、そのエリアの京浜東北線は超満員!
(あまり言っていいものかわからないけど、)それを逆手に、あえて一番ギュウギュウの車両に乗り込み、満員の中心へ。
仕事と練習、普及活動により、睡眠時間が全然確保できない日々だったため、サラリーマンの皆さまに身を委ね、まるでウォーターベッドに包まれているかのように仮眠の時間にしてました。皆さんごめんなさい🙇♂️
デスクワーク
普通なら、ただ椅子に座ってパソコンに向かうだけの時間。
でも、私にとってそれはもったいないと思っちゃいました。
ここでも常に、骨盤後傾を意識し、腹圧を入れ、体幹を整える。
胸郭の閉じ開きを意識した姿勢で胸と背中のバランスをとり、キーボードを打つ一瞬一瞬まで、泳ぎのフォームを意識した姿勢を保って毎日過ごしてました。
「関野の座り方すげぇ姿勢いいな」
「なんか、いつも姿勢がピンとしてる」
先輩や同期から不思議そうに言われることも。
でも、私にはそれをするしか方法はなかったんです。
その結果、この時間も、れっきとしたトレーニングになってたと思います。
さらに、応援や研修で店頭に立った際のお辞儀だって同じ。
1月の初売り時期には、店頭へ応援へ。朝イチはシステムが稼働していないので、オープンから3時間はひたすらお辞儀の連続。
普通なら単調な動作でしかないその時間を、私はここでもフィンスイミングのパフォーマンス向上のチャンスに変えられないか考えました。だって3時間はデカすぎる…
まず基本の立ち姿勢はいつも通り、骨盤後継と胸郭の程よい屈曲を意識。そこから、かがむときは頸椎が反らないように意識しながら背骨全体を前に倒すイメージ。起きるときは、腰を反らせて戻さないよう、おへその上あたりから起こしてくるイメージ。
これで見事、プールに入らず家電量販店でうねうねの練習を3時間することができました。
日常のすべての動作を、競技につなげる。
それが、私なりの解決策でした。
辿り着いた究極の境地
そんな日々を送る中で、不思議な感覚に包まれ始めます。
最初は、ただの前向きな気持ち。
「努力って楽しい」
この言葉を、文字通りの意味で受け止めていました。
「工夫するって楽しい」
「限られた時間を最大限活用するって楽しい」
でも、それは始まりに過ぎなかったと、ある時、気づきました。
「あれ?これって・・・」
激務で疲れ果てているはずなのに、心が躍る。
練習で体が悲鳴を上げているはずなのに、気分が高揚する。
「きついって楽しい」
その境地に至った時、また新たな感覚が芽生えたんです。
「苦しいって楽しい!」
「乳酸って楽しい!」
「つらいって楽しい!」
プレッシャーも、重圧も、すべてが楽しみに変わっていく。
そして、ついには─
「楽しくないって楽しい!!」
この究極の境地にまで到達しちゃいました。
つらいこと、きついこと、苦しいこと。
そして、楽しくないと感じることさえも、
それらすべてが、自分を成長させてくれる機会に思えてくる。
ある意味、洗脳と紙一重のこの感覚は、まるで魔法のように私の可能性を広げていきました。
無双モード突入
2014年5月、日本選手権。
想像を超える激務の中で、果たして結果は出せるのか…
誰もが不安視する中、私の中には確信がありました。
スタート台に立った時、身体が震えるような高揚感。
これまでの工夫、これまでの努力、すべてが間違いではなかったという確信。
何より仲間と一緒に練習して過ごせた1ヶ月間は充実に溢れていました。
運命の結果は、
200mサーフィス、400mサーフィスで日本新記録を樹立!
さらに、人生初、最優秀選手賞(MVP)までもが私の手に!
驚いたのは、周りだけではなく、
私自身、この結果には耳を疑いました。
でも、それは偶然ではありませんでした。
後輩たちが引くような練習量と質の高さ。
それらすべては、「楽しくないって楽しい」という境地があったからこそ。
2015年に入ると、その進化は更なる高みへと達します。
1月の関東オープン大会では、16年間破られることのなかった日本記録を更新。
5月に至っては日々の練習で、すでに日本記録を上回るタイムで泳げるようになっていました。
そして迎えた日本選手権、
200m、400m、800mサーフィスで日本記録を樹立!
100mサーフィスでも初めての表彰台で銅メダルを獲得し、なんと昨年驚いた大会MVPも2年連続で選ばれました。その結果、世界選手権、アジア選手権では日本選手団の男子キャプテンとしてチームを牽引することに。
「無双状態」
渦中の本人は、日々常に目の前のことに必死で、なんとか喰らいつく・しがみつくような日々を送ってる感覚でしたが、後に、多くの人がこの時期をそう表現してました。
振り返ってみたら、確かにそんな感じだったなあと今なら思います。
新たな気づき
しかし2015年後半、私の中で静かな変化が訪れ始めていました。
それは、単なる記録の伸び悩みではない。
むしろ、自分を取り巻く環境や立場への、新たな気づき。
業界における自分の位置づけ。
周囲から求められている役割。
そして、自分に与えられている影響力。
ふと、2013年の記憶が蘇る。
あの時は、日本代表という肩書きに溺れ、傲慢さゆえに代表の座を失った。
プライドだけが先行し、本質を見失っていた。
でも、今回は違う。
より戦略的な視点で、この立場が持つ意味を考えるようになっていました。
代表という肩書きは、単なる誇りや名誉以上の意味を持つ。
たくさんの子どもや人々に勇気や感動を与えられる。
それらは、フィンスイミングの普及活動において、確かな価値を生み出し、競技の発展に貢献できる重要な手段。
「楽しくないって楽しい」
あの境地は、こんな形でも私に新たな気づきをもたらしていました。
予期せぬ試練
それからさまざまな環境の変化もあり、2016年。世界選手権後、思いがけない試練が訪れます。
結論から言うと、
イップス─。
自分の意思と身体の反応にギャップが生じる、選手として最も厄介な状態。
心では「こうしたい」と思うのに、身体が言うことを聞かない。
まるで、自分の体が自分のものではないような、不思議な感覚。
「今日こそ追い込むぞ!!」
そう意気込んだある日のメイン練習。
100mダッシュの練習で勢いよく壁を蹴って泳ぎ出す。
水中でぐんぐん加速をして15mラインを迎え、
水面へ浮き上がり、
スピードに乗って泳ぎ始める…
が、
25mを過ぎたあたりで急に力がふわっと抜けて身体がとまってしまう…。
「なんで・・・?」
こんなことが週に2,3回は続き、そんなきちんと練習できない自分が嫌いになり、ついにはゴーグルの中では涙が出ていました。
当初は自分の怠惰さや、やる気が足りてないのが原因だと思っていましたが、明らかに様子がおかしいと思い、いろいろ調べた結果、ようやくイップスに陥ってるということがわかったんです。
原因がわかると、少し気持ちも軽くなり、気長に付き合いながら、約1年という長い期間はかかりつつも、少しずつ克服に向かっていきました。
とはいえ、
正直いまの感じでは、あの無双時代に叩き出した記録には到底敵わない。
それに頑張って取り組んでも、いつ、またあの脱力感が再発するかわからない。
そんな歯痒さと悔しさにより、もう一度再起してやろうという自信は減っていきました。
世界、夢の舞台への最後の挑戦
2018年、セルビアでの世界選手権。
教え子や後輩たちが頭角を表し始めた頃、なんとかまだ中距離で日本代表の座をキープしていました。
イップスから抜け始めつつも、なかなかベストタイム更新が叶わない中、長年、中距離界を牽引してきた自分ができることとしては、ずっと目標にしてきた「4×200mリレーの世界選手権決勝進出」に貢献すること。
それを目標にセルビアに乗り込みました。
リレーメンバーは、国内ではいつもお互いに代表の座を奪い合う厄介なライバルでありながら、国際大会ではともに戦うことができる心強い同志として、長い間付き合ってきた3人。
前回大会、2016年ギリシャでの世界選手権では、惜しくもあと一歩及ばず、9位に終わったこの種目。
「今年こそ・・・!」
そう息込んで、飛び込んだレース。
ついに、長年の夢であった「世界選手権決勝進出」を果たすことができたんです!男子4×200mサーフィスリレーでの世界選手権決勝進出は、史上初の快挙となりました。
世界最高峰の舞台。初めての決勝の舞台。
昔から憧れていた各国の中距離界のトップ選手が勢揃いする召集所はニヤニヤが止まらなかったのをよく覚えています。
4人で共有した、夢のような時間でした。
その瞬間、過去のタイムに囚われ、
応援をプレッシャーと感じるほど過度に追い込み、
イップスにまで陥っていた私は、ようやく悟りました。
「記録以外で達成・貢献できる方法もあるんだな」と。
静かに忍び寄る運命の流れ
相変わらずベストには及ばずも、常に成長し続けるために試行錯誤をする日々が続いていました。
そこで訪れた、2020年12月末。
一瞬の違和感が、すべてを変えることになるとは
その時は、まだ誰も想像すらしていなかったでしょう。
「なんか、うまく関節がはまらないなぁ」
「なんか骨が引っ掛かってるんだよなぁ」
「痛みや違和感がいつもと違うなぁ」
最初は、そんな程度の感覚でした。
怪我ならぶっちゃけ慣れている。慣れることは決して良くはないのだけど、今までどれだけ身体を酷使して、多くの怪我を乗り越えてきただろう。
いつものように、ケアして、リハビリして、また戻ってくればいい。
そう思っていました。
でも、この痛みは何かが違ったんです。
泳ぎの調子は近年トップレベルに良くなってきた。
このままいけば、今年はついに、ベストを更新できるぞ!
そんな時に限って、現実は裏腹に・・・
日を追うごとに症状は深刻さを増し、
思うように泳げない日が増え、
練習を制限せざるを得ない状態に。
それでも競技は続けたかった。
フィンスイミングに人一倍時間をかけてきたこの夢は諦めきれなかった。
騙し騙しでも、練習を重ねる日々。
「もう少し休めば...」
「もう少しケアすれば...」
「もう少し工夫すれば...」
「ちょっと我慢すれば…」
自分に言い聞かせる言葉も、次第に虚しさを帯びていく。
「もう限界か…」
「せっかくいいところまで来たのに、なんでここにきてうまくいかないんだ…」
「この"もってなさ"が結局、もともと凡人の、本来の自分だもんな…」
そんな絶望的な中で、不幸中の幸い、
良い意味で自分を逃げさせてくれる時間がありました。
それは、指導者としての日々。
教え子たちは着実に力をつけ、次々と結果を残してくれる。
彼らの成長を見守る時間が、かけがえのない喜びに変わっていました。
「もしかしたら、これは何かの暗示なのかもしれない」
その思いは、徐々に確信に近いものへと変わっていく。
私は今、新しいステージに立とうとしているのかもしれない。
競技者から指導者への、自然な流れとして。
でも─。
心の奥底で、何かがうずいているのも事実。
まだ諦めきれない何か…。
完全には手放せない思いが、確かにそこにありました。
暗闇の中で、その答えを探していた時、
ふと耳に入ってきた声。
「あの時のよしさん、怖かったです」
ある教え子が、私にそう話しかけてきた。
「練習で日本記録を超えてくるバチバチ期のよしさんは、まるで別人のようでした」
「でも今は、だいぶ全然変わりました」
確かに違う。
今の私の中では、「記録」よりも大切なものが見えている。
4年間の孤独な鹿屋生活。
ソフトバンクでの激務との両立。
無双期の輝かしい記録。
イップスという試練。
そして、世界選手権という夢の舞台。
これらの経験のすべてが、競技に対する新たな視野を与えてくれた。
「努力って楽しい」から始まり、
「きついって楽しい」「苦しいって楽しい」を経て、
「楽しくないって楽しい」という境地に至るまで。
その過程で気づいたのは、競技の本質は、
記録以上の何かを秘めているということ。
「関野さんの指導、なんか独特なんですけど、でも、なんか深くてわかりやすいんです」
そう言ってくれる教え子たちの言葉に、
私は密かな確信を抱いている。
この経験のすべてが、
次の世代に伝えるべき大切な何かになっているはずだと。
なぜなら、「楽しくないって楽しい」
この境地に至るまでの道のりこそが、
すべての経験を新たな価値へと変えてくれるのだから─。
(続く)
競技者としての物語は、ここで一旦の区切り。
でも、新たな物語は、まだ始まったばかり。
孤独なプールでの4年間。
世界的企業での激務との両立。
限界知らずの無双期。
そして、イップスという試練。
これらの経験は、指導者としての私に、
いったいどんな景色を見せてくれるのか。
次回は、その新たな挑戦の物語をお届けできればと思います。
ということで、ここまで長きに渡り読んでくれてありがとうございます。
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またね〜
フィンスイミングスペシャリスト
足ひれ社長 関野 義秀