創作小説「笑うな野口」

 街頭ビジョンのないアルタ、ゴジラのいない東宝ビル、アースカラーに喧嘩を売るような鮮やかすぎる色の服に身を包み街を歩く人々。たった今、私は1991年の新宿に降り立った。私は握りしめていたスマホをスッとポケットにしまい、一歩踏み出した。
 令和を駆け抜けんとする私がビビッドな90年代の地で仁王立ちすることなど、本来ありえないことだ。しかしなぜかできてしまった。街の景色が映った写真を手にして目を瞑り、そこに映っている時代に想いを馳せる。そして目を開いてみるとあら不思議、写真に写っていた世界に自分が立っているではないか。これを使えば、写真の発明以降であれば、いくらでも過去に遡ることができる。この能力に気づいた当初は、テストの受け直しだったり、見逃した映画を見にいったりと細かいことばかりに使っていた。しかし、ただいま世間は大型連休。箱根なり熱海なりにいくつもりだったが、高速も新幹線も殺人級に混み合っている。そんなものに自ら巻き込まれにいくのは馬鹿げているとしか思えなかった。ならば、もうちょっと「遠出」してやろうと、母親の部屋にあったアルバムからスナップ写真を拝借して旅に出ることにした。それこそ、初めの頃は「なんだこの力」だとか「なんで私が?」だとか思いはした。しかし名作SF映画の数々を思い出してほしい。不思議な力やデバイスを手にした主人公は、その出処を探し出そうとする。大抵の場合は変な奴に絡まれ、命を狙う敵に追われ、必ずといっていいほど困難に見舞われる。つまりは、出処なぞ気にせず、黙ってしれっと使ってりゃあいいのだ。悪事に使いさえしなければ変な事には巻き込まれないはずだ。
 新宿の地に降り立って街並みを眺めながらしばらく歩いていたが、少し疲れてきたので目に入った喫茶店で休憩を取ることにした。重厚感のある木製のドアを開けると趣ある薄暗い店内が目に飛び込んできた。ご婦人方が談笑し、企業戦士たちが新聞を広げては煙草をひと吸いし、束の間の休息を堪能している。なんて最高な景色だろうか。白と黒のシックな制服に身を包んだウェイトレスに連れられ、臙脂色のベロア生地のソファに腰掛けた。ふかふかでとても気持ちいい。メニューを開いて驚いた。コーヒー1杯が140円。現代であればチェーンのファストフード店でもなかなか見ないような価格設定。すぐに店員を呼んでアイスコーヒーを注文した。砂糖とミルクは? もちろんなしで。
 少しして目の前にコースターが差し出され、その上に黒い液体で満たされた瑞々しいグラスが置かれた。氷とグラスがぶつかり合って心地よい音を奏でる。ここまでは順調だった。ただ、初めてのコーヒーがブラックというのはあまりにも間違っていた。結果、少しコーヒーを口に含んでは大量の水で流し込む、というのを繰り返してなんとか飲み干した。
 少し赤面して喫茶店を辞した後、10分ほど歩いて大通りに出た。目の前のビルの大きな看板2つが目に入ってきた。街頭ビジョンぐらいの大きさで、どちらも最近公開された大作映画のポスターのようだ。近づいてみて気がついた、これは写真ではなく絵だ。全部手書きで描いているのだろうか、なんと繊細なのだろう。どうやらこの建物は映画館みたいで、ちょうど上映が終わったところなのか出入り口からわっと人が溢れ出てきた。この時代の映画館は今の時代でいう名画座のスタイルをとっていて、1つのスクリーンで2つの映画を交互に上映している。1回チケットを買えば出入り自由で、片方の上映が終了した後にそのまま残ってもう片方も観たり、朝に1本観てから1回外に出て夕方に戻ってきたりということもできる。今から入ればちょうど2本とも観られるので入らない手はなかった。
「大人1枚で1000円です」宝くじ売り場のようなボックスオフィスで、ガラス越しにお姉さんのハツラツな声が聞こえた。
 千円。なんと良心的な値段だろうか。さっそく野口を1枚トレーに出した。しかしお姉さんはなかなか受け取らない。あろうことか顔がどんどん訝しげになっていく。どういうことだ?
 1分間の気まずい沈黙の末やっと気がついた。いま自分が出した1000円札はまだこの世に存在しない。野口英世の顔が紙幣に刷られ始めるのは2004年、ここから13年後だ。つまり、お姉さんにとって自分は「知らん顔が載ってるお札っぽい紙を意気揚々と繰り出してきたちょっとヤバい人」になっている。これは良くない。非常に良くない。
「子供がおもちゃ銀行のやつを入れちゃったんかねえ、ははは」苦しい言い訳と引きつった笑い声を残してその場を去った。恥ずかしくてお姉さんの顔は見られなかった。
 少し歩いたところで路地裏に入り、改めて自分がいま何を持っているのかを確認することにした。まず来るときに使ったスナップ写真。続いてスマホ、電池が切れかけている。充電器は忘れたし、もちろんネットには繋がらない。最後に財布だ。つい数日前に給料日を迎えてすっかり油断していた。小銭入れには数枚の10円玉と1円玉がじゃれ合っている。つまりさっきまでの自分は100円にも満たない小銭を後生大事に抱え、大都市東京を闊歩していたということだ。意味などないが札の方も見てみる。数人ずついる野口と諭吉が雁首揃えてこちらを睨めつけている。ただ、一番手前にいた古株の野口だけが、「たわけだなあ」と嘲るように口元を歪めていた。

いいなと思ったら応援しよう!