キャパシティ、と同時に、このイメージを超えていきたい
キャパ超えちゃってるな〜やばいな〜という自分と、PLUS ULTRAと思っている自分と、さらにそのふたりの自分を眺めている自分とがいる。
キャパをオーバーするとどうなるか。まず、ひとへの連絡が滞る。締切がギリギリになる、あるいは過ぎてしまう。疲れやすくなる。生活リズムが崩れる。ひとに会いたくなくなる。ジャンキーなものが食べたくなる。自己への(同時に他者への)配慮が失われる。原因と結果は逆であることもあるだろうが、これらの現象が起こる。
キャパを超えたときに、どこから犠牲になるか、どこを犠牲にするか、と考えられているときは、まだほんとうにはキャパを超えていないのだろうと思う。全部が同時にダメになというのがキャパを超えたということであって、まだ秩序づけて順序づけることができているなら、持ち堪えているよ。
とはいえ、一存在者としておれは、なにが問題なのか列挙する。列挙しようとする。濁流のなかでも、still waterと同じような泳ぎ方をしようとしてしまう。だって他の泳ぎ方を知らないのだもの。そうしてまた溺れる。
おれは水の比喩が好きだ。キャパといったときに、グラスと、そこに注がれてなみなみと溢れる液体を自然とイメージしている。テーブルに落ちた雫がもったいない。
一旦擱筆。朝まで書き足し続けてみよう。溢れているときというのは、いちばんいいときでもあるのだから。
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