通学路を歩きなおしてみよ、あなたがかえってくる
実家に帰ってきた。今住んでいるシェアハウスは実家に近いので、月に一度くらいは実家に帰っている。だから今回も約1ヶ月ぶりである。お盆が近いということもあり、なんとなく、どこかに往ったり、還ったりということを考えずにはいられない。
わたしが通っていた小学校まで、通学路の通りに歩いてみた。これも、小学生の頃の自分に「還ろう」とする動きかもしれない。時刻は17時。夏至を過ぎて2ヶ月弱が経ったとはいえ、まだ日は長い。太陽は横顔を灼いてくる。今日から長期のお盆休みに入ったひとも多いのか、街はいつもよりもくつろいでいるように見える。いいやもしかしたら、あまりの暑熱にただ黙しているだけかもしれない。
歩いていると、ちょうどわたしが通りかかるタイミングで家を出てきたおじいさんがいた。このひとは、わたしが小学生だった頃、よく家の前でヤンキー座りをして煙草を吸いながら通学中の小学生たちの列を眺めていたひとだ。特に挨拶をするわけでもなく、ただ真顔で見てくるひとで、嫌な感じはしなかったけれど、印象に残っている。当時は少しだけ白髪の混じった頭が印象的だったけれど、今日見たそのおじいさんはもう天辺の髪の毛はほとんど生えておらず、残っているわずかな髪の毛もほとんどが白髪だ。時の流れを思う。これが20年の月日か、と。
厳密に通学路を再現しながら歩いたら、通学路というのは最短経路に比べたらかなり蛇行しているということがわかる。細い道ではなく、太い歩道のある道を。車通りの多い道よりは少ない道を。教員たちが歩きながら定めたのだろうと想像する。通学路なんていうものを、当時はよく律儀に守っていたものだ。先生にチクったろ、というような「卑怯な」同級生がいたからかもしれないし、効率なんてものから当時はもっと自由だったからかもしれない。
坂口恭平さんが『現実脱出論』のなかで、幼いときの自分から老いたときの自分までが横一列に並んでいるというイメージを提供している。そのときそのときによって顕在化する自分が違うだけで、どの年齢の自分も等しくそこにある、という話だったと思う。『現実脱出論』はひとにあげてしまったから今は参照できないけれど、今もこれが忘れられないし、横一列かどうかはともかく、いろんな年齢の自分が潜在的に存在しているというのはなんとなく腑に落ちる。
先日シェアメイトのIくんと、現存するなかで日本最古だというダイエーに行ってきた。そこの飲食店街のフロアに到着したとき、完全に子どもの眼になっていた。もしかしたらそこに存在していたのはわたしが生まれるよりもずっと前の風景だったのかもしれないけれど、だとしたらわたしはマイナス何歳かの自分になっていたのだろうと思う。懐かしすぎて、わたしは帰りたくなった。家に、ではない。もっと根源的なところに、である。
通学路を歩くと決めて歩いたら、わたしも20年前のわたしになったかのようだ。道に落ちているいろんなものが気になり始める。動物の糞や、変わった木の実、煙草の吸殻に、蝉の死骸。どれもが新しい。そしておそらく、わたしたちはいろんな眼でものごとを眺めることができるはずだ。この特定のわたしは、このわたし以外のわたしへ至るための通り道に過ぎないのではないか。老若男女を問わず、さまざまなわたしになれたはずではなかったか。全能感への郷愁かもしれない。が、それよりは、本当にその特定の「わたし」になってしまうということだと思う。
この29歳の「おれ」が小さく感じられてくる。さあ、日も暮れてきたしお腹も空いてきた。家に帰ろう。久々の母親の手料理である。この感じも20年ぶりな気がする。