東京物語③──帰阪
ゆくりなくわたしたちは出会うだろう。
9月18日(月) 対話
蓼原さん
中野駅で作家の蓼原さんと会う。どのようにして作品を作っているかを主に話した。やはり書くことはおもしろい。今ならたくさん書ける気がする、そんな気持ちになれるような対話だった。
カフェを後にして、本屋に行くのに付き合ってもらった。最近の蓼原さんの文章で「ネクロフィリア」という言葉が印象的だった。わたしはそれをフロムに引きつけて読んでいたのだが、特にそのような意識はしていないらしい。
わたしは敢えて不躾な質問をした。「好きな作家はいますか。」そして蓼原さんもそれに応じた答えを用意しているようで、村田沙耶香さんの名を挙げてくれた。おすすめは何かと尋ねた。やはり『コンビニ人間』は読んだほうがいいですか。いいえ。村田沙耶香の本質はもっと他の作品に現れています。たとえばどの作品がいいですか。
最終的に手に取ったのは『生命式』という自選短編集。表題作を読んで、その感想を手紙で送るという約束をした。蓼原さんはフロムの『悪について』を読んだ感想を教えてくれるという。文通。コレスポンダンスだ。
ARくん
夕方、新宿でARくんと会う。彼はわたしが住んでいる大阪のシェアハウスに何度も来ていて、話すと自然と明るい気持ちになれる男だ。言葉の明るさは軽薄さとはまったく違う。むしろ節度こそが言葉の明度を上げるのかもしれないと思う。
歌舞伎町一番街を通り抜け、トー横の方面を回った。彼はとても適応力の高いひとだ。大阪人の魂を残しながらも、東京人として見事に案内をしてくれた。歌舞伎町はそれ自体がもはや観光地と化している。子連れの観光客もいる。わたしの視線もどちらかというと観光客のそれであった。
東京の飯屋は高いうえに大阪ほど美味しくないと教えてくれる。「入るならチェーン店が間違いないっすよ。」学生の時分からよく通っていた鳥貴族に入る。キャベツ盛りの味も焼き鳥の味も、わたしが知っているそれと同じだ。
ARくんがよく行くというシーシャ屋に入る。わたしも初めて見る機械でモヒートとオレンジを混ぜたフレーバーを用意してもらった。とてもおいしい。歌舞伎町のど真ん中でこんなにもくつろげる場所があるなんて。彼は新宿での過ごし方をよく知っていると思う。そういえば、ゴルファーも東京に来てからシーシャにはまったと言う。東京でわたしたちの時間感覚に近い流れでくつろごうと思ったらシーシャ屋というのはいい選択なのかもしれない。とてもいい時間が過ごせた。次は大阪で会おうね。
9月20日(水) 東京と大阪の人混み
新宿発、成田空港第3ターミナル着のリムジンバスに乗る。都心を横断していくバスの車窓からは「東京」が見える。ときおりオフィスビルの中が見え、整然と並ぶライトやモニターの並んだ机、PCや労働者の姿が矢継ぎ早に流れていく。アパートメントの狭いベランダは縦横に整列している。川がある、藻が浮いている。
『ベルリン・天使の詩』(ヴィム・ヴェンダース監督)で今日の個々人はミニ国家と化しているという言葉があったのを思い出す。個人主義という言葉でなんとなく言い得た気になっているこの孤独、あるいは孤立をよく表現していると思う。なんでも個人単位で解決することが求められ、それを多くのひとが実行している。したがって、誰か困っているひとがいても手を差し伸べたりはしないし、逆の立場であってもひとを頼るようなことはなるべくしない。ここで生活している彼女ら彼らは強い人間だろうか。わたしにはわからない。
ほとんど全てのものが囲い込まれている。家は休息するところ、会社は働くところ、公園は遊ぶところ、居酒屋は酒を飲むところ。当然のことを言っているだけだろうか。囲い込まれているとはどういうことか。立ち止まることができないということである。電車に乗るのはどこか目的地があるからであるし、街を歩くのも決まった場所に移動するためである。立ち止まることができないなら動かなければならない。動き続けなければならない。全ては通過点かそうでなければ目的地である。
新橋の近辺を散歩したことがあった。この寄る辺なさが痛いほど感じられた。コンビニに寄るか、トイレに行くか、喫茶店に入るか、バーに入るか、何かをしていないといけないというこの大きな流れに抗うことが難しかった。結局どうしたか。駅前で待ち合わせをしているひとに紛れて、わたしも待った。何を待っていたのか。何も待ってなどいなかった。
大阪は多少は違うだろうか。まだ立ち止まれる余地があるような気がする。そしてだからこそ、わたしは東京の人混みに居心地の良さを感じるのだと思う。急に滞ることのない大きな流れにあっては、ふっ……と無になれる。匿名の誰かになれる。大阪の人混みはそれを許さないようなところがあって、流れに断層が走ることが少なくない、ように感じる。どちらがいいという話ではない。東京は大都会で、大阪はそれに次ぐ程度の都会だというだけ、その人混みの質が違うというだけだ。
ひと月ぶりに大阪駅に降り立っても特に感慨はない。感慨らしきものを感じたのはシェアハウスに着いてシェアメイトたちと雑談したときである。珍しく他の3人が揃っていて、ここ1ヶ月の出来事をパッチワークのように縫い合わせていった。
9月21日(木) 帰阪
大阪で一晩眠って、改めて帰ってきたのだと感じる。1ヶ月放置された自室はどことなく埃っぽい。服を片付けて掃除をした。
思えば、この1ヶ月レインシューズだけで生活していたのだ。厚沢部町にいることを前提とした靴選びだった。戻ってきた家には何足もの靴があるし、香水もある。身を着飾ることを少しずつ思い出すだろう。
焦らずいくことにしよう。ゆくりなくわたしたちは出会うはずだ。
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