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わたしには猫がいない はたらくってなんだろう

わたしはコロナ休業中だ

落ち着かなくて毎日、

休業が終わったら初めてチャレンジする広報業務のことばかり考えている

試しにプレスリリースなんかを書いてみるが

書けなくて頭を打ち付けたくなったりする

なのに、なのにだ。

ふとしたときにペンを走らせることが出来たときの

ランナーズハイ

(といってもわたくしは走らない、走れないが)

は何とも表現できない

これがコンビニのインスタントコーヒー(しかもその場で淹れるものでなく、昔ながらの、瓶入りの粉ときたものだ)のカフェインでハイなのか、そうでない何かを別の記憶にないものを摂取したものでハイなのかはわからないが、とにかくそのときの多幸感たらない

まるでゲームで自分対4人において圧勝を遂げたような震えがやってくる(といっても、わたくしはゲームをしないのだが。全部妄想)

そんなことを考えながら、喉が乾いたなんて冷蔵庫を開けていると、ふと、思った。

それは本当にふと。

降って湧くように。

わたしが、書いたものを、誰かに読んでもらえることほど幸せなことはない、と思ったのだ。

物凄い驚きが走った。

そんな、そんなことって。

何を書き上げたわけでもない、評価されたわけでもないのに、それって

それってどういうことなの?と

でも、そのときの、その感覚を忘れたくないと思った

それはずっと、本当にずっと

365日×24時間×生まれたときから

ずっとじぶんが求めていたものだったからだ

もし、もしも、だ

書くことでじぶんの生計を成り立たせることができたらどんなに幸せだろう

仕事をしていると、ふと、あぁ、もうこれ以上、自分を削りたくないと思う瞬間がいくつもあったように思う

雇い主は金銭という、誰かに渡すにはあまりに惜しいものをわたしの労働というものに対して渡してくれているのに、だ

自分が誰かに金銭を毎月渡さなければならない

納税しなきゃいけないと想像したときの痛みったらない

でも働いてるとそんなこと忘れてしまって

もらって当然になってしまう

そして、傷ついた気持ちになったり本当に傷ついたりする

なんだか訳がわからない

訳がわからないのだが、

書くことならば、わたしはじぶんを…

じぶんの考えたこと、感じたこと、経験を

削るようにして書いてもいいとすら思えた

それでnoteを開いた

募集を初めてみたら

#はたらくってなんだろう

という記事の募集をみつけた

一番上にあった

あ、まずこれを題材に書いてみようと思った

そして書こうと思った瞬間、そんなことしても無駄だと思った

そのときの感情というか、脳が瞬時に諦め

無駄だと思ったときの諦め感を表現するなら

真っ黒になった虫歯って感じだった

あ、これだ、と思った

生きてきて、いろいろ見聞きして

人に揉まれ、ネットに揉まれ

それでいろいろ有名になる人なんかをみて

特別になんでなれしないって

自分なんかがっていうのを理由にして

瞬間的に無駄無駄無駄って

壁を作ってシャットアウトする

やっても無駄だって。

脳のくせだ

脳の嫌な部分

そして、書くことを通してなら

そのくせに、ネガティブで

やってもいないのに諦めるという

短絡的な思考回路

それに気づけたことを忘れたくないと思った

諦めた部分にきっと道があるんだ

道って何かはわからない

ただ、書けばいいと思った

書きたいなら、書いていけ、自分。


しごとってなんだろう

本来なら、収入や働き方やコロナと仕事を

パスタに絡むソースみたいにいい感じで書けたらいいのかもしれない

でもそれは時事に強くて

ぐいぐい引き込む文章が書ける

20代なんかの、きれいでかっこいい男女に任せることにする

わたしはこれしか書けない

だからこれをこれを書いた

わたしの文章は粗雑でまとまりがなくて

美しくない

でもわたしは書くことを仕事にしたい

書くことで、自分という人間を支えたいと思う

願う

本当は書くことが仕事っていいたい

アイデンティティにしたい

しごとって、ほんとうはアイデンティティなんだと思う


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