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日本語を教えるって面白い


2004年7月

今学期から週一1時間だけ、日本語教師をすることになった。きっかけは友人の紹介で、教室は生徒たちが用意したアパートの一室。生徒は社会人の男性2名、女性1名、そして大学院生の男性1名で、彼らは語学学校で出会い、勉強仲間になったという。ときには飲食店でお茶や食事をしながら、学習を進めることもある。

私は日本語教師の免許もなく、授業経験もないただの大学生。そのため、生徒さんたちの質問に答えたり、会話の流れで日本語と中国語を交えて話したりしているうちに、授業というよりは雑談の場のようになってしまうこともよくある。帰りがけに「今日はなんだか、ただお喋りしただけだったよな…」と正直、すごく申し訳ない気持ちになることもあるのだけど、彼らは「これでいい、これがいいんだよ」と。「教科書では学べない本物の日本語を使える機会が大事なんだ」と話し、毎回本当に楽しそうに日本語を使いながら、貪欲に学んでいく。時には、「関西弁で読んでみて」とリクエストされることもあり、私自身がハッとすることも多い。

たとえば、中国語には声調や拼音のような音声記号があり、それを覚えれば発音の基礎が分かる。一方で、日本語にはそのような記号がなく、聞いて覚えるしかない。母音と子音の組み合わせが限られているため発音体系は英語や中国語と比べるとシンプルなのだと思う。でもアクセントには平板型、尾高型、頭高型、中高型があり、文脈や単語によって変わるため複雑だ。標準語と関西弁でもずいぶん違う。また、日本語の漢字には音読みと訓読みがあり、それぞれに複数の読み方がある。だから単語で覚えるより、文章で覚えるほうがよいので、ひたすらセンテンスを作るように会話する今の授業スタイルは理にかなってるのかもしれない。

学ぶことへの情熱

中国人の外国語学習に対する情熱はすごい。休日の公園や大学の芝生広場では、「イングリッシュコーナー」と呼ばれるイベントが開催され、英語だけを使って会話する光景が広がっている。誰でも無料で参加でき、とにかく「使う」ことを目的としている場。参加者にネイティブはいなくて、あくまでも、中国人同士が集い、学んでいる英語で会話する場だ。

一方、外国人に対しては「互相学习伙伴(言語パートナー)」関係を結んでお互いに無料で言語を教え合う。私も学校や街中でたまたま知り合った中国人から、「日本語を学んでいるので学習パートナーになってほしい」と声をかけられることがよくある。少しでも目標の言語を話せる相手を見つけると、迷わず積極的にコンタクトを取ってくる。そして「学んだら使う」を繰り返しながら、どんどん実力をつけていく。

その中で特に親しくなったのが、南京師範大学に通う女の子だった。彼女は初対面のとき、流暢な日本語で「はじめまして、私は恭子といいます」と自己紹介してくれた。「恭子」という名前は、好きな女優・深田恭子にちなんでつけたそうだ。そして、アメリカ人留学生に対しては「Hi, I’m Cindy!」と英語で自己紹介をする。相手によって名前を使い分けるの?と驚くと、「その方がすぐ友達になれるでしょ」と。彼女はクラブへ遊びに行く鞄の中にも英単語帳をしのばせて、ちょっとしたスキマ時間にもサッと広げて学んでいる。そんなふうに独学で英語と日本語を習得し、2年後には大学からの奨学金を得てアメリカに留学する計画だという。その行動力とバイタリティーには心から感心させられる。

学び方の違いから考えたこと

日本の語学教育は、文法を徹底的に学んでから会話練習に進むというスタイルが一般的だ。でも、文法にこだわるあまり、実際に話す機会を逃してしまうことも少なくない。一方で、中国の学習者たちは「まず実践」することを重視している。完璧でなくても、今持っている語彙を使い、相手に伝えようとする。そして何より、学ぶ過程そのものを心から楽しんでいる感じがする。

「語学学習はスポーツと同じ」という言葉を聞いたことがあるが、中国の学習者たちの姿を見てその通りだと感じた。彼らはもじもじせず、言葉を使うことに前向きだ。彼らを見ていると、自分ももっと積極的に楽しみながら学び、挑戦していかなきゃな、と思う。

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asha
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