発達障害者に“甲斐性”を求めるということ
男の甲斐性について、以前もこのnoteで触れたのですが、今回はちょっと気になるツイートがあったので、再び取り上げてみます。
定型との友人とは価値が合わなくなってきた。やはり男というのは、正社員で責任のある仕事を任され、それは辛いのが当たり前で、当然結婚し子供を産んで車とマイホームがあってなんぼだという価値観。
※一部ツイートを引用し、若干要約しています。
この定型の友人は、昭和の日本男性の在り方をそのまま引き継いだ価値観かなと個人的に思います。これまで言われていた「男の甲斐性」を示し続けるという価値観をお持ちなのかなと感じます。僕なら価値観のズレを感じたら、そっと距離を取る選択をしますね。「嫌われる勇気」発動です(笑)
実は、過去に実習先で当時30代女性介護士に「お前は甲斐性がない人間だな。」と素敵な言葉を頂いているので、僕にとって「甲斐性」という言葉はスティグマになっているのかもしれません。
「甲斐性」について辞書的な意味を調べると以下の通りになります。
かい‐しょう〔かひシヤウ〕【▽甲斐性】 の解説
物事をやり遂げようとする気力、根性。また、働きがあって頼もしい気性。多く、経済的な生活能力をいう。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
甲斐性がない人はどのような人を指すのか、以下のサイトを参考に、発達障害との関連も考えてみました。
・定職に就かない
定職に就かないということは、まさしく経済力が乏しいということにつながっていきますよね。なので、定職に就いていない男性は甲斐性がありません。
やはり、経済力の問題きましたね。当たり前ですが豊かな生活を送るための経済的基盤は常々求められているなと感じます。社会人の合コンとなると、仕事の状況や経済的基盤について評価される印象です。ただ、以前も話しましたが、障害者雇用はビビるほど給料が安いので、発達障害で障害者雇用の人に対しては、残念ながら「金がない=甲斐性がない」とみられるかもしれません。厚生労働省のデータを見た印象では、男性は年収338万円を超えていれば上出来に思います。発達障害を抱えても特性を活かして稼いで年収338万円を超えていたら、かなり自己研鑽、自己分析をされた印象を受けます。
(厚生労働省のデータをみると特に平成10年以降の男性の賃金の上昇率が低いですね( ;∀;)時々マイナスですし、伸びも0.数パーセント程度ですね。)
・生活能力が低い
自分のことを自分でできない人も当てはまります。例えば、部屋の掃除がしっかりとできていないや、家事などを全くしないなども含まれるのではないでしょうか。
ADHDの不注意、衝動性、ASDのこだわりの強さからセルフケアや生活管理が苦手な方は多くいらっしゃる印象です。金銭管理が苦手、支払い忘れ、片づけや掃除が苦手、要領よく家事ができないなどがあります。場合によってはヘルパーを使うなど社会資源の利用も必要になるケースがあるかと思います。
発達障害の程度によりますが、生活能力が定型発達と比較して低くなる傾向は否定できないと思います。
・いざというときに頼りにならない
突然のピンチのときにあなたを守らず頼りにならない、または逃げ出すような男性は甲斐性がありません。いざというときだからこそ、頼りになる男性が良いですよね。
発達障害者がピンチから逃げ出すかは分かりませんが、ASDを抱えていると臨機応変な対応が苦手な傾向があります。全体像をつかみ、将来を見据えるのも苦手な傾向があります。どういった突然のピンチかにもよりますが、事前準備がないと苦しいことになるように思います。
・諦め癖がある
どんなことでも長続きしない男性はあまり甲斐性あるとは言えません。やりたいことがあったとしてもすぐに諦めてしまう男性は継続力がなく、頼りにならないということにつながっていきますよね。
これは育ちによる失敗体験の積み重ねの影響でしょう。発達障害からおこる二次障害によるものではないでしょうか。環境でのミスマッチもあるため、本人が自身をセルフケアできる段階までいかないと難しい問題だと思います。その人に寄り添えるタイプでないと、付き合っていくのは厳しいでしょう。
まとめると求められる甲斐性には、その人が家庭生活を十分に維持できる経済的基盤を築き、社会的な実績を積み上げ、明確な自分のビジョンを持っているかがカギになってくるかと思います。発達障害を抱えていても自分の特性を活かして成功されている方なら、いわゆる甲斐性がある人になっているのかもしれません。生活管理については場合によっては手厚いサポートが必要になるでしょう。
今回は、発達障害者と甲斐性に関係について、個人的な見解を述べてみました。最後まで読んで頂きありがとうございます。またお会いしましょう(^^)/