【発達障害】普通に対する渇望と手帳への嫌悪
とあるnoteを読んでいると、発達障害を抱えた子供を持つ親御さんが、何としても普通級へ通わせたいこと、精神障害者福祉手帳の取得を拒むケースがあることが書かれていました。
自分も発達障害者ですが、一人の当事者としての意見は、本人の特性に合わせた環境設定をしてもらえる事が一番の支援だと思っています。
ただ、親御さんが「子供には人並みに真っ当な人生を送って欲しい」「自分の子供の発達障害を認めたくない」といった気持ちが働くのも分かる気がします。
(自分は人の親ではないので親の心理を語る事がおこがましいのは承知しています。)
以前の記事で「障害受容」については見解を述べましたが、個人的に感じる点としては、障害の受容は本人よりも親や友人など周囲の人の方が難しいのではないかと自分の経験から感じます。
そういう意味でも障害受容は一筋縄ではいかず、親御さんの立場なら尚更、簡単に普通級を諦めたり、手帳を取得することは、とても大きな葛藤を乗り越える必要があるかと思われます。
合理的な判断としては、支援級や手帳の取得に踏み切り支援を受けることが最適なのでしょうが、自分の感情やアイデンティティーとの折り合いがつかないと相当に難しい側面があるのではないでしょうか。
自分の中では、障害受容の経験は間違いなく自身のアイデンティティーを大きく変容させたと言っても過言ではありません。言い過ぎかもしれませんが、白人だと思って育っていたら実は黒人だと気づかされ、改めて自分の属性を整理し直したと言ったところでしょうか。
周囲の人の障害受容はどのような過程を辿るのでしょうか。自分の友人の一人は「どう接して良いか分からなくなった」と話す人もいました。
家族に対しては、障害の話は診断書を見せて以来、双方ともその話に触れることはほぼありません。ふと冗談を交わしながら、何となくゆるい日常を送っています。
障害受容というテーマは、当事者と周囲の人にとって終わることのない問答であると同時に目を逸らすことも容易ではない、決まりきった答えが存在しないテーマの一つではないかと改めて感じます。
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