気の置けない古い友人に、アスペルガーだと伝えた。

かれこれ15年、20年の友人に会う機会があり、こどもの話を通じて、自分もアスペルガーだと話してきた。

どんな切り出し方をしようかと一瞬考えたが、実体験をそのままに時系列で伝えることにした。つまりは「こどもの診断をきっかけに、どう考えても自分も同じだと思ったから病院に行ってみたところ、やっぱり発達障害だった」という流れ、そのままである。

友人ひとりはアスペルガーに多少の理解はありそうで、もうひとりはそれが何かよくわからないような反応だった。まわりにそんなことがない限り、ヒトは理解を深めることもないだろうから、ふたりとも至極真っ当な反応だと思う。そもそも本人のわたしでさえ、よくわからない。

アスペルガーにもいろんな種類があるからね、と前置きした上で「わたしもそれだった」と話したけれど、カムアウトしたところでそれを受け入れてくれるかどうかもわからないな、と思っている。15年20年の付き合いも、この一言で距離を置かれても仕方がないと思うのだ。厳しいけれど、それが現実だろうし。

話を聞いた側にボールを持たせるつもりもなく、かといってわたし側がボールを回収つもりもなく、ただただ自分がそれであったと話をし、「診断されたことでホッとした」と伝えた。それが結論で、ボールはその場で消滅してくれたと思っている。

事実、生きにくい世の中なのは自分がアホだとかバカだからではなく、生まれながらの脳の特性なのだと知った時にホッとしたのだ。世間一般のふつうとは違うタイプだから行きにくいと知れただけで、本当によかった。先天的なことなので、一定の努力は必要だろうけれど、それ以上の無理矢理なことはしなくていいと思っている。

今回のカムアウトで、もし友人らに距離を置かれたとしても、その判断に取り繕うとは思わない。なぜなら、多少悲観的なことを書くかも知れないが、それもまた仕方がないことと思うからだ。自分の中でアスペルガーはそういう距離を置かれるかも知れない存在だと思っているし、だけどこれまでの関係値を築いてきた時間が嘘でないのなら、変わらない関係性もまた真実だと思っている。

いろんな人がいて、いろんな生き方が認められる、そんな多様性な社会がより身近になると良いなぁと思う。

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