英国発達支援への道・番外編: 他の子との比較
「周りと比較しない」「子どもの以前の姿と成長を比べる」とはよく言ったものです。親になると一度は言われた・聞いたことがある言葉ではないでしょうか。
発達支援を必要とするお子さんを持つ保護者の方は、この言葉は時に励ましとなり、時に葛藤の根元となりうるのでは、と自身の経験を通し思いを馳せる事があります。
元気な時・余裕のある時は、前向きでいられます。子どものそのままを受け入れて、愛し、成長を喜ぶ事ができます。
でもそれは、周りに比較対象がいない時に出来うることが多いのではないでしょうか。
私はこのポジティブな励ましの言葉を、時に綺麗事であり呪いだと思ってしまいます。
人間はそんなに割り切れるように出来てないし、近くに対象がいれば比べてしまう生き物です。社会と接して生きていく以上、「定型発達」と定義され社会集団のなかで生活する子供達を目の当たりにすると、その彼らを見るのが辛くなります。そして「彼らには彼らの悩みがある」と言われても、自分の立場ではそれを経験した事がないので、受容も理解もうまく出来ません。毒も吐きたくなります。私たちの「余裕」は瞬時に崩れ落ちます。
勿論ラベルをつけたのは私達人間ですし、語弊はありますがそのラベルにより受けられるサポートも多くあります。しかし、非常に苦しむことも多いのです。
何事もそうですが、これはお互い当事者にならないと永遠に分からないと思います。一生交わらないと思います。
お互いのそれを一切責めない、大変さを競わない、両者見えないところはある、誰も悪くない とした上で、
私は時にめちゃくちゃ辛いのです。年相応のコミュニケーションをとり、メルトダウン(癇癪の爆発版)や、生活上で親も子も人間としての尊厳を脅かされると感じる経験とは縁遠い子供達を見ると、私は「普通」とされる子ども達を遠ざけたくなります。
所詮私の立場で語ることもポジショントークになることは頭では十分分かっていても
「この人たちは何に悩んでいるの?」とも思ってしまうし、
「幸せな悩みだよな」と思ってしまうのです。
でもそういう時は、普段から本当に自分に余裕がないのかもしれません。
自分の経験を当てはめれば、渡英して約10ヶ月、死に物狂いで支援獲得のために現地の多くの機関にコンタクトをとり、対面や電話、メールでのやりとりを重ね、大の苦手な主張をし続け奔走し、言葉の違う異国で休む間もなく駆け回ってきました。
こうして走ってきたから様々な人に出会え、助けらえ、ここまで辿り着くことができたと思うと同時に、自分の状況や感情を振り返る時間も余裕もないこの日々に、時に気が遠くなるような感覚を覚えたことも数知れません。
縁もゆかりもない土地で「純ドメ」家族が十分なサポートを得るためには、踏ん張らねばならないことが多いのは紛れもない事実です。
幸せになるために頑張っているはずなのに、時にそれは自分の心のスペースを奪っていきます。
ここに「他者の状況」が目に入ってきてしまうと、兎に角しんどいのです。自分で嫌というほどわかっています。
比べるべきではないことを。
比べなくて良いことを。
「普通」というラベルにとらわれなくてとを良いことを。
落ち込まなくても良いことを。
でも、目に入ってしまうのです。現実を突きつけられてしまうのです。
そこに「比べなくてもよい」「あの子にはあの子の良さがある」「個性・
ギフトだと思って」なんて言葉をかけられた日には、心が死にます。
わが子のことは愛しているし、何よりも大事です。
だからこそ、彼らを1番近くで見守り歩む家族が時に弱音を吐き、自身の感情とありのままに向き合い整理する時間が、十分必要であると思います。
その時間は、「綺麗事」や「理想」からどこまでも遠く、逃げていいと思います。