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発達障害の私が社会人になったら⑤実は元リクルートと経歴がかけたりします。
こちらの記事で、びっくりするようなところから電話が来た旨で終わっていましたが、
リクルートです・・・
そう、あのリクルートから「先ほどメールをお送りしましたが確認していただけたか電話しました」
との電話が来たのです・・・
実はリクルートには精神障碍者の就職支援をする
アビリティスタッフィングというものがあり、私は前にそこへ登録をしていました。
電話で簡単に説明されたことは
「一緒に働きながら仕事探ししませんか?」
との事!
契約社員で期間は半年、とうぜん働くのでお給料が出ます!
そう、リクルートからお誘いが来たとのことを作業所のスタッフさんに話し
私は横浜から新橋へ半年間通いました。
業務内容はデータ入力。
派遣会社の概要を入力欄に入力する仕事でしたが、予想以上に難しい仕事でした(あまり詳しいことは書けないので割愛します)
実はそこの同期の仲間にオタクが多くてプライベートでも一緒に遊んだりして、結構楽しかった記憶があります!
で、仕事を一緒に探すとのことで沢山面接を受け、何が悪かったかを何回も反省をし、ようやく金融関係大手の子会社へ就職することになりました。
職場は東京、遠いです、東横線に揺られて通いました。
障碍者雇用を積極的に取り入れている会社でした、規模が大きいので雇用しないといけないからです。
会社自体定時に終わり、残業は一切なしでした。
それは障碍者雇用の人だけでなく会社そのものがそのような
仕組みになっていたのです。
ここで障碍者雇用のはいりょがされました。
まず私は電話が取れないため、電話機自体をデスクから外しました。
そして時短勤務で通常は9時から出社の所を10時出社にしてもらいました。
ですが・・・
私自身やはり会社へ通うという事がうまくいかず、月に半分しか出社できずにいて手取りが7万なんて月が何回もありました。
危機感を抱かなかったのは貯金があったのと、家計簿をまだつけておらず現実的なお金の流れが見えていないからだったと思います。
当時昼休みは会社の前にあるコンビニで買うか外食でラーメンやカレーを食べていましたが、会社を辞めた後家計簿をつけはじめ、次の会社へ入ったときにお昼ご飯を弁当にしたら一食当たり大分節約できていたのであの時は無駄遣いをしていたななんて後悔しか無いです。
結局10か月勤務し、失業手当が出るように二か月間休む旨の診断書を書いてもらい二か月休み、退職しました。
ここで本来なら傷病手当金がもらえるはずなのですが、当時は主治医がまだ長野の主治医かつ、親の顔も見たくなかったので診断書を毎月もらうなんてメンタル的にきつくて300日の失業手当をもらい、生活をしていました・・・・
この会社、本当にもったいなかったです。
もっと早く家計簿をつけ、もっと早く主治医を横浜の病院に変えればよかったかと・・・
この後就労移行支援に通い、また障碍者雇用で働くことになります。
それはまたおいおい。