190kmウォーキングアフターストーリー
#歩いてCHA10いく と題してここまで、書いてきましたが
ログではなく、感想をここに記していきます。
190km歩いてきた中での気づきや、思ったことを書いていきます。
#0 旅の気づき
3日間190km歩いてみたといいつつ、企画から実行まで約1か月
色々考えると3か月くらい、この企画と歩いてる。
気がついたことは、いくつかあるけど
一つは人の優しさですよね、応援されてるのって本当に嬉しい
ゴールや企画賛同してくれたCHA10御領原さんはじめ、
鹿児島行きを共にする柿木園さん、江藤さん
イベント主催してくれた北村さん
サポートしてくれた岡野くん
そして、Tシャツスポンサーの皆様、企画サポート、応援の方々
企画は、そうした好意によって支えられてます。
本当に、ありがとうございます
北村さんとも、話していたけどアマチュアスポーツのスポンサーシップなどの参考にもなるかと思います。
そこは、どこかで話す機会をつくるとして
今回は、仕事や生活に、転用しやすいことを、3つあげてみました
役に立つかどうかは、各々に任せます。
なるべく漫然と歩かないで、考えながらあるいた一部なので
40歳の僕は、凄く納得してる。
・ググっても出てこないもの
・歴史を知るということ
・自己決定の重要性
#1 ググっても出てこないもの
今回のテーマでもあったググっても出てこないものを感じる。
3日間歩いた感覚は、当然ながら
自分しかわからない感覚なのですが、
その最たるものは匂いと温度
クラファンしてる時の質感
ウェアが届いた時の感動
箱根の旧道を歩いてるときの緑の匂い
薩埵峠の最上部の潮の香り
金谷の石畳を超えた先の茶畑の空気
同じ山越えでも、全く違う空気
普段の生活では得ない、異質な喜び
詩を、詠む人の気持ちがわかる。
感情のリバースエンジニアリングみたいな感覚になるのは不思議でした。
ツイートひとつ、日によって場所によって違う
これを体験出来たのは、よかったし
他者の価値観に侵食されてない、純度の高い自分の価値観に触れたのも
新しい体験
ググっても出てこない
経験の哲学そのものだった
#2 歴史を知るということ
旧東海道を巡るにあたり、関わるアートは目を通しておこうと思っていて
歌川広重 葛飾北斎の浮世絵
余裕ないし、ここを感じたら満足と思っていました
しかも、季節や時間によりレイアウトを満喫出来ない部分もあり
景色を探すのも、少し趣旨と違っていて、そこまでの執着を持たずにスタートしました。
その中で、ここまでかと感動したのは【歌碑】
特に、西行と松尾芭蕉との出会いは強烈でした。
山肌の状態では、登りにくい坂道や峠に石畳を引き
人の往来を管理すべく、関所を設け
難所を超えた位置にある宿、食事処
その先で詠まれた歌に、痺れてしまった
西行は、69歳で2度目の東海道行き
東大寺再建の勧進(費用を奉納させる)を理由に、奥州藤原氏に向けて進んだ
当時の69歳での道中
命の補償などなく、死と隣り合わせ
そんな中読まれた句と思ったら、込められてる感情の深さたるや
年たけてまた越ゆべしと思いきや 命なりけり小夜の中山 西行
歴史を知り、息遣いを感じたら
ただの坂道ではなく、タイムスリップのような心持ちのエンターテイメント
こういった感じを教養と呼ぶなら
知らないと現世を生きているのは、勿体ないのかもしれない
だって、知らなければただの坂道
しってこそ、変わって見える世界だから
歩いた事で、人生が彩られたのは間違いない
経営者がアートへって文脈も少し理解できる。
#3 自己決定の重要性
人生訓、成功体験、自己啓発、、、
独立以来、まぁその前から沢山の本を読み漁っていて
その学びを活かしてみたり、否定したりと
だいぶ捏ねくり回した人生でしたが
ここにきて、確信じみたものが【自己決定】の重要性
当たり前に、日々決定をしてるんだけど
実は、外的要因でやらされてたり、色々な抑圧があったりする。
【かくあるべき】みたいな、なんとなくのコモンセンスやドレスコードに縛られて生きてる。
そんな中で、自分が選んだ決定はどれだけあるのだろうか??
社会、家族、職場、職域、コミュニティなど
さまざまなものを言い訳に、自己決定を誤魔化してはいないだろうか?
段々と自分を騙すのが、上手くなっていってはいないか?
そんな疑問を、常日頃から感じていて
これは、自分にも、患者さんにも思うところがある。
フロイト曰く
表出されてない感情は、絶対に死なない。心の奥底に生き埋めになっているだけで、後になって、さらに醜い形で表れてくる
リアルにあると感じています。
そんな中、今回の旅は、正直辛いどころか楽しくて仕方なかった。
おそらくは、全てが自己決定だったことは大きい
3日間で、190kmを強制的にしていたら
途中で投げ出せたし、そもそもやらなかった。
そりゃそうです、目的地までは新幹線使えば2時間かからない
わざわざ、歩く必要はない
だけど、その挑戦にワクワクしちゃったんだから
しょうがない
ハプニングの連続、引き返す選択、痛む足指
全てが、愛おしく
一つ一つに学びがあり
不機嫌になる暇がなかった
きっと多くの不機嫌は、自分で作ってるんじゃないかと仮説を立てたくなるくらい
マイナスの感情はなかった
今回の旅での1番の収穫は、この感情
自己決定と没頭
今後の人生も、またこの感情を味わっていくために生きたい
確かに、若いうちにバックパッカーをしていた方がよかったかも知れないけど
多分僕の場合は、今だから気がつけたのだと
熟成されて、衝動が止まらなかったのかと思うと、これも必然
そこの実感が凄くて、驚いてる。