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デスマッチ・ファミリー ~第15話

対峙

 外は吹雪になり始めていた。早苗はポケットからオイル缶を取り出し、布に振りかけた。そしてジッポーで火を点ける。メラメラと火が上がり、暖かさが戻ってくる。この火がいつまで持つか分からない。風で火が吹き消されそうになる。
「そこかっ!」
 浩一郎の声が聞こえた。返り血で真っ赤に染まったシャツ、骨折した右手の指は包帯に巻かれている。自分で固定したのだろう。左手には包丁。ゆっくりと早苗に向かって歩いてくる。
 まさか外で待ち伏せしていたとは。浩一郎とは逆方向に走り出す。

 別荘の壁伝いにぐるりと回り込む。武器になりそうなものを持ってきていない。とにかく逃げるのだ。
 振り向くと、浩一郎が迫ってくる。
「早苗、いつまで逃げるつもりだ? どこにいたって見つけるぞ」
 ぞっとするような浩一郎の声。ホラー映画でよく聞くセリフだ。まさか自分の父親から聞くことになろうとは思わなかった。雪はくるぶしあたりまで積もっている。徐々に足先に感覚がなくなってきた。このままでは歩けなくなる。その場に座り込んで足先を火で暖めたかったが、今はそんな状況ではない。とにかく靴を履きたい。健太か良太のスニーカーが玄関にあるはずだ。まずはそこまで逃げよう。
 そう決めて早苗は必死に歩を進めた。別荘を半周して表玄関にたどり着いた。

 玄関を開けて靴を奪い取る。そのままキッチンに逃げて裏口から出るのだ。玄関の鍵は開いているのか。
 もはやそこは賭けだ。
 玄関の取っ手に手をかけ引っ張る。
 開いた。
 開いた瞬間、早苗は思った。

 入っちゃダメだ、なぜならそこに・・・

 行動に思考が間に合わなかった。早苗の目の前に有刺鉄線が張り巡らされていた。
 早苗は勢いのまま有刺鉄線に飛び込んだ。
 有刺鉄線とともに倒れ込む。鉄線の切っ先が早苗の身体に突き刺さる。
「バカが」
 背後に浩一郎が迫ってきた。ダウンジャケットのおかげで深々と身体に突き刺さることはないようだった。しかしそれが引っかかり網のように身体にまとわりつく。身をよじって鉄線を振りほどく。ビリビリと破けるダウンジャケットやジーンズの音。無理矢理身体をよじって正面を向くと、浩一郎が包丁を掲げていた。

 あれを振り下ろされたら今度こそ死ぬ。
 早苗は右手のたいまつを浩一郎に押しつけた。
 浩一郎のシャツに火が移る。
「てめえ、ふざけるなっ!」
 あわてて火を消そうとする浩一郎。そのまま外に飛び出て雪の中に飛び込んで火を消そうとゴロゴロと転げ回った。今のうちだ。早苗は有刺鉄線を振りほどき、目の前のスニーカーを手に持った。
 両手をかなり傷つけたようだ。白いスニーカーが赤く染まる。
 それでも浩一郎が戻ってくる前に逃げなければ。

 キッチンに走り込み、裏口の鍵を開ける。飛び出すように表に出ると一気に吹雪が体温を奪い取る。スニーカーを履こうとするが、靴下を何枚も重ねて履いた足では入らない。靴下を一枚脱ぎ足を入れる。多少きついが構わない。これで走れる。
「早苗、どこだ!」
 室内から浩一郎の声が聞こえる。
 しかしこれで準備は揃った。あとは打ち合わせ通りに木に火を点けて・・・
 
 たいまつの火が消えていた。布が燃え尽きていたのだ。何か着火剤になるものと体中を探り、立った今脱いだばかりの靴下を見つけた。それを木に巻き付ける。オイルを振りかけ火を点ける。
 しかしオイル缶が空になった。使いすぎたのか、もともと残量が多くなかったのか。とにかくこの火が最期だ。おそらく旅館までは持たない。ならば山火事を起こすだけだ。
 火の明かりを見つけ、浩一郎が叫んだ。
「いたな、そこかっ」
 裏口から躍り出てくる浩一郎。早苗は裏庭を走り、山の中へ向かった。火がついている以上、自分の居場所はバレる。早く火事を起こさなくては。しかし浩一郎が追ってくる。
 どこか手頃な木はないか。
 目の前に小枝の密集している木を見つけた。あれなら火がつくかもしれない。

 しかし、その瞬間、あたりが真っ暗闇に閉ざされた。
 化学繊維の靴下はあっという間に溶け、たいまつの火が消えたのだ。
「嘘でしょ、あと少しなのに!」
 早苗はポケットをまさぐり、ジッポーを探した。ライターで直接火を点けるしかない。
 石をこする。
 手がかじかんでうまく擦れない。何度かためすが着火する気配がない。
「まさかオイル切れ?」
 暗闇の中で、石をするたび着火の火花は見えるが、ジッポーが生き返ることはない。
「こんなとこで、嘘でしょ」
 早苗は焦った。しかし浩一郎の気配は消えた。探す頼りの火が消えたためだ。
 真っ暗闇で右も左も分からない森の中で早苗は一人取り残された。
 別荘に戻るしかない。
 しかし、どっちへ向かえばいいのだ?
 絶望感が早苗の気力を奪い取った。
「こんな所で死ぬのかな」」
 今頃になって、有刺鉄線の傷がうずく。早苗はその場にうずくまった。

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