#14 図々しく生きる
こんばんは、とあネガです。
全然どうでもいい話なんですけど、とあネガって打つの「とあ」が平仮名で「ネガ」がカタカナなんで区切って打たないといけないのがめっちゃめんどいです。
一発変換で出てくるぐらい有名人になったらなー、とか思ってもないこと言おう。
まあ単語登録しとけば済む話なんですけどね。
さて本題です。
2〜3週間前爆病みしてた私ですが
最近ようやく元気になり始めました。
ここではネガティブな話しかしてないので珍しく今日はいい話(?)ができそう。
経緯としてはほんとその2週間前病みきって心をふさいでた私に母がLINEで励ましてくれ、一件の記事を送ってくれたことがきっかけでした。
母は私にこう言いました。
「○○は頑張りすぎなんよ。もっと図々しく生きてもいいんよ」
“図々しく”というワードを聞いてすぐさま私はマイナスなイメージを思い浮かべました。
自分は今の時点でダメな人間なのに、またさらに悪い面を追加するなんて、と最初はその言葉を受け入れられませんでした。
しかし母が送ってくれた記事を読んで
少し考え方が変わったのです。
その記事がこちらです。
【#しんどい君へ】別の居場所に救われた眞鍋かをりさん「自分の価値観からはみ出して」(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/d0429464f279d738a2753c3594828d278aea80aa
これを読んだ時に、明るくはつらつとしているイメージの眞鍋さんにも辛い時期があったことにまず驚きました。
どうやってそれを乗り越えたかもなるほどと思えたのですが、
一番衝撃を受けたのは最後の直筆メッセージのところです。
「辛くなるのは優しすぎるからじゃないかな?もっと図々しくなってみてはどうでしょう」とニコちゃんマークで柔らかく締めくくっていました。
ここで図々しくという言葉の印象がすごく変わりました。
図々しいというのは自己中心的なことであるけれど
ここでいうそれは、
自分が他人に優しくしたり、いろんなことに気を遣ってしまっていて自分自身を労わってあげられていないから
一度他人本意で考えてしまうループから抜け出して
自分本意になってみるという意味だと私は捉えることができました。
言い換えればそれは
自己肯定感が低い人のアドバイスによく使われる
「自分を認めてあげること」であるように思いました。
すでにこれについては実践しようと試みていましたが、それがどうしてもできなかったんです。
「私はなにも頑張っていないし、みんなと比べたらダメなやつなのにどうやって自分を認めればいいんだろう」と思ったり、「こんなちっぽけなこと誰でもできるじゃないか。やっぱり私はダメだ。」
そんなふうに「頑張っていないダメな自分」という勝手な決めつけが十分に出来上がってしまっていたからです。
でも、いいところを見つけるというハードルは「図々しく生きる」というメッセージからは感じられなくて、
頑張ってる・頑張ってないの次元に自分を置かなくてもよいと思えたし、
辛い理由を優しいからと、自分のダメさからくるものではなくいいところから来るものじゃないかと問いかけてくれたことで私自身はすごく気持ちが楽になりました。ここでそれは優しさからくるものだと言い切られていたら、「いや、自分はそうじゃない」とすぐさま否定の方に走ってしまうから。
ここから私は自分が仮に"頑張っている"として
自分に降りかかってきたことに対して「頑張りすぎない」を念頭に置くようにしました。
なにごとも全力でやることが善であると思い、手を抜くなんてもってのほかだと思ってやってきていましたが、
やりすぎることで自分を苦しめているんだと思い、
適度に手を抜くことで生み出されるプラスの方に目を向けるようにしました。
また、考えすぎてしまうことによる弊害を感じていた私はここでもそれを応用して
あまり張り詰めず気楽に考えるようにしたら楽になるはず、と思い行動に移すことが増えました。
もちろん全部が全部いい方に進んだとは言えないですが、案外やって良かったと思えたこともあったし
良くないことがあっても深刻にならずに済んだので
本当に心が救われている感じがします。
自分の人生は自分のものだから、
他人にどうこう言われて
振り回されるのなんてまっぴらごめんだと思うし
納得できないことは納得できないと自分の中でしっかりそれを持っておくことが大事。
いい悪いの基準を他人ベースで考えると痛い目に遭う。
私は私を信じる。
だから今後も図々しく生きてやろうと思います。
もちろん、迷惑をかけない程度に!
とか言いつつまた生理来て病んだら笑うなあ〜
本日はこれにて。