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媒概念不周延の虚偽 - 三段論法の誤謬

「三段論法の基本」の記事で三段論法の形式について解説しました。

再確認すると三段論法において重要なことは、まず登場する概念が3つであること、大前提と小前提に共通する概念があって、小前提の媒概念じゃないほうの概念(小概念)が結論の主語になっていて、大前提の媒概念じゃないほうの概念(大概念)が結論の述語になっていることです。


この三段論法の形式にしたがって定立をつくってみたいと思います。

読書家が天才であることの定立:

大前提:天才は読書家である。
小前提:
私は読書家である。
結論:
ゆえに私は天才である。

大概念:天才
小概念:
媒概念:読書家

読書家が媒概念であり、読書家という言葉が示す概念は小前提と大前提で共通しており媒概念曖昧の虚偽の心配はなさそうです。

また、小概念である「私」が結論の主語になっていて、大概念である「天才」が結論の述語になっています。

三段論法の形式になっており結論は妥当といえそうですが、概念と概念の関係を図にしてみて本当にそれが正しいか調べてみましょう。


大前提の大概念が周延されているか

大前提の命題「天才は読書家である」の主語の「天才」は、すべての天才なのか、一部の天才だけを指しているのかはっきりと明示されていません。


大前提の大概念が周延している場合

仮に大概念が周延されているとしましょう。

すると大前提は「すべての天才は読書家である」となります。

その場合の概念と概念の関係はこのようになります。


1. 天才が周延されている


「私」は読書家の外延にありますが、天才という概念の外延にあることは保証されません。

ゆえに天才が周延されている場合において結論は妥当ではありません。


大前提の大概念が周延されていない場合

では仮に大概念が周延されていないとしましょう。

大前提が周延されていない場合は、一部の天才が読書家であるということなので概念の関係は以下のようになります。


2. 天才が周延されていない


この場合においても、「私」が天才という概念の外延にあることは保証されていないので結論は妥当ではありません。


つまり大概念の「天才」が周延されているか、いないかに関わらず、この定立は妥当な結論ではないのです。


どういうときに結論が成り立つのか

「読書家が天才であることの定立」は、三段論法の形式になっていますが結論が妥当ではなく誤謬といえます。


結論「私は天才である」が成り立つときは以下のような関係のときです。



上の図を見ると読書家が天才に包含されているのが分かります。このとき読書家であることは天才であることの十分条件となり、読書家であれば天才と判断できます。


この図を三段論法に起こすとこのようになります。

大前提:すべての読書家は天才である。
小前提:
私は読書家である。
結論:
ゆえに私は天才である。

大概念:天才
小概念:
媒概念:読書家

大前提は「読書家ならば天才である」に置き換えが可能です。


そして、ここがとても重要なポイントですが、この正しい定立では大前提の媒概念が周延されています。


誤謬となる定立は以下のとおりでした。

大前提:天才は読書家である。
小前提:
私は読書家である。
結論:
ゆえに私は天才である。

この誤謬となる定立では、大前提の天才が周延されているか、いないかに関わらず大前提の媒概念である読書家が周延されていません。


この誤謬はその名のとおり、媒概念不周延(ばいがいねん ふしゅうえん)の虚偽と呼ばれています。


後に記した結論が妥当な定立では、大前提の媒概念である読書家が周延されています。以下の図を見てみて比較してみてください。


「すべての天才は読書家である」の「読書家」は読書家の外延すべてを指していない(不周延)


「一部の天才は読書家である」の「読書家」は読書家の外延すべてを指していない(不周延)


「読書家ならば天才である」の「読書家」は読書家の外延すべてを指している(周延)


誤謬となる定立も、妥当な結論を得ることができる結論も両方とも小前提で読書家の外延に「私」を置き、結論で天才の外延に「私」があることを主張します。

そして天才の外延に「私」があることを保証するためには、大前提で天才の外延に読書家があり、その読書家が周延されている必要があります。


天才の外延の読書家が周延されているということは、読書家が天才に包含されているということです。

もし読書家が周延されていない場合は媒概念不周延の虚偽になります。


これは、媒概念が大概念に包含されていないのに媒概念に小概念が包含されていることを示しても、大概念の外延に小概念がある保証がない、ということです。


このように三段論法では、まず三段論法の形式になるように意識し、次に概念が周延しているか、つまり概念と概念の関係を意識する必要があります。

三段論法の形式になれば結論が妥当になるとは限らない、ということだけ抑えておいてください。


ちなみに、妥当な結論を得ることができる結論の大前提「すべての読書家は天才である」を偽だと判断するためには、「天才でない読書家はいない」という対偶をとり、天才でない読書家をたったひとり見つけるだけで構いません。

これだけで「すべての読書家は天才である」が偽であると判断できます。


すべての天才が読書家であるかを調べることはとても大変ですので、対偶はこのようなときに便利です。

大前提が偽であることが証明できれば結論は妥当ではなくなるので、「私は天才である」という結論が妥当でないということが分かるのです。


注意しておきたいのが結論が妥当ではないと分かってもなお、結論の「私は天才である」の答えが偽であるとは限りません。

妥当でないとは、真ではないという真理値の判断ではないからです。



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