論理の基盤となる3つの法則
論理的な思考するにあたって、間違いなく正しいとみなすべき絶対的な法則が3つあります。
この記事で紹介する3つの法則は、必ず成り立つと考え、絶対に疑いません。
なぜなら、これらの法則が成り立たないとき、論理的にものごとを考える行為そのものが無意味になってしまうからです。
1. 同一律
同一律(どういつりつ)とは、
あるものは、何かが作用しない限り、あるものであり続ける
という法則です。
あなたが休もうと腰掛けた岩が腰を上げた瞬間に大蛇に変わったりしません。
手に取った林檎をかじろうとした瞬間に兎に変わったりしません。
池の水が氷に変わったとき、それは温度の低下によって水分子の熱運動の運動エネルギーが減少するという作用があったのです。
海の水が塩に変わったとき、それは水分の蒸発という作用があったのです。
ベッドであなたの隣で寝ていた子犬が突然消えたりしません。
もし子犬が消えてしまったとき、それは子犬の寝相が悪くベッドから転げ落ちてしまったのです。
庭の池の水が綺麗さっぱりなくなってしまったとき、その池の水は消えてしまったのではありません。
夏の日差しや日照りで蒸発してしまったのです。
このように、何かが変化したり消滅したりするときは必ず何かが作用しているのです。
あるものは、何かが作用しない限り、あるものであり続けるのです。
1-1. 因果律
あさぽの論理学では、同一律から導かれる法則として同一律にまとめます。
因果律(いんがりつ)とは、
ある結果があれば、必ずその結果を起した原因がある
という法則です。
先に上げた例でも、何かが変化したり、何かが消滅したとき、そこには必ず結果を起こす原因がありました。
結果があるとき必ずその結果を起こす原因があるのです。
1-2. 充足理由律
また、似たようなものとして、充足理由律(じゅうそくりゆうりつ)という法則もあります。
ある結果に対して「なぜそうなったか?」と問えば、必ずその結果の原因があり、質問に答えることができる理由があるという法則です。
因果律と充足理由律は区別します。
例えば赤ちゃんが泣いているとして、
因果律では、
この赤ちゃんが泣くという結果は、「感情や刺激への反応として脳が涙腺から涙を流せと司令する」という原因によって引き起こされている、という考え方をします。
充足理由律では、
この赤ちゃんが泣くという結果は、「ミルクが欲しい」だったり、「おしめを替えて欲しい」だったり、「寂しいから抱っこして欲しい」だったり、何かしらの理由があって泣いているのだ、という考え方をします。
何も理由がないのに赤ちゃんは泣いたりしない、これが充足理由律の考え方です。
あさぽの論理学では厳密さのため、いかなるときも因果律は必ず成り立つ必要はあると考えますが、充足理由律は必ずしも成り立たなくもよいとします。
非形式論理学において充足理由律は成り立つことが多いそうです。なので軽視してよいという法則ではなく、知っておくべき重要な法則であることには変わりありません。
2. 排中律
排中律(はいちゅうりつ)とは、
あるものが定義されたとき、その否定も同時に定義される
という法則です。
例えば、「人間」という概念を定義したとき、「人間でないもの」という概念も同時に定義されます。
3. 無矛盾律
無矛盾律(むむじゅんりつ)とは、
あるものを、同時に同じ観点で、否定しつつ肯定できない
という法則です。
例えば、太郎さんが世界にただ一人しか存在しないとして、その世界において、太郎さんが人間であり かつ 人間でない、ということは矛盾するのでありえません。
ある命題が正しいとして、同時に同じ観点から、その命題が正しくないことを前提にした命題が妥当になることはありません。
抑えておきたいポイントとしては観点が異なれば、矛盾することはないという点です。
例えば太郎さんがいる世界とは別の次元の世界があるとして、その別の次元の世界において太郎さんが人間でなくても矛盾はしません。