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「どこ」の見当識障害

場所の見当識障害がみられるようになって数年。
ときどき外の様子が気になって一人でフラッと出歩くこともあるけれど、外廊下やエントランス遠くても駐車場 と敷地内に留まっているので、今のところ『徘徊』『行方不明』の心配はない。自力で帰ってくることは出来ないけれど、ワタシか居住者の誰かが見つけてくれる。

2022年
5月に4日間旅行し 一泊ずついろんなホテルに泊まったせいか、自宅とホテルがごっちゃになってしまった。
7月には「トイレ」と言って浴室に行き バスブーツを履いてショーツを下ろそうとする事件が発生。それ以降 自宅のトイレの場所が分からないことが増えていった。
そして8月。手術入院で ❝どこか(自宅でないことは認識できている)❞ に4日間居たせいか、退院後は自宅に居るのに認識できないことが増えていった。

以前の母は徒歩圏内のスーパーやクリニックへは一人で歩いて行けていた。
道に迷うことも無かったが、貴重品紛失や転倒が心配で2022年頃からはワタシも一緒に出かけるようになった。(もっと放任しておくべきだったと思う)
1人で外出することがなくなると、同行者がエレベーターの階数ボタンを押してくれるので自宅階が分からなくなった。廊下を進むのも同行者と一緒だから 何となく感覚で ❝この辺❞ というのは分かるけれども、自分の家と隣家がごっちゃになる。
2023年までは自力で住所が書けていたのに「○○市○○区○○町3丁目1の2の・・・」最後の部屋番号が言えなくなってしまった。

トイレの場所が分からないのは 自宅だったりデイサービスだったりショートステイだったり、今いる場所によってトイレが違うことも混乱する要因のひとつだと思われる。
在宅時は タイミングを見計らって声掛けし、探しているようだったら「トイレそこね」と誘導している。

自宅に居るのに「家に帰ろう」と言うときは、記憶の逆行性喪失で恐らく二十歳代の世界に戻っていて、当時の家のことを言っているのだと思われる。
「ここが家よ」と言うと「あぁ、そうやったね」と現在に帰ってくるときもあれば、合点がいかない顔をしているときもある。

何にしても、分からなくなると心配で怖くて不安になって ますます不穏になってしまうから、普段以上にゆっくり優しい声掛けで応対します。(そう心がけています。そのつもりです。ワタシのイラッは抑え込むべし。)


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