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私が心理カウンセラーを始めたのと、ほぼ同時期(1993年)に発足した「ぐんまカウンセリング研究会」(現会長は「みどりクリニック」院長の鈴木基司氏)は、1997年に、研究雑誌『ヘルスサイエンス研究』を創刊しました。初代の編集委員長は、元・足利短期大学学長の清水敦彦氏でした。
清水氏の逝去を受けて、2014年からは浅野が編集委員長を引き継いで発行を続けましたが、もろもろの事情から2018年に廃刊となりました。その間の2016年発行の巻頭言に掲載した一文を再掲します。
《巻頭言》編集と私
ヘルスサイエンス研究編集委員長 浅野良雄
『ヘルスサイエンス研究』の編集委員長を仰せつかってから2年半が過ぎた。この間は、ただただ夢中で編集作業にあたってきたが、少しずつ気持ちのゆとりが出てきたので、この場を借りて、「編集」と私の関わりについて書かせていただきたい。
まず、『ヘルスサイエンス研究』の出版に関する編集委員長としての主な作業を紹介したい。 (1) 原稿募集の告知、(2) 原稿の受付、(3) 査読委員への審査依頼、(4) 査読結果を著者に通知、(5) 提出原稿の校閲と添削(語句の入れ替えや、誤字・脱字・句読点・助詞・接続詞の修正など)、(6) 文字の配置・字体・大きさの調整、(7) 修正案の確認を著者に依頼、(8) 著者により確認された完全原稿を印刷所へ入稿、(9) 著者に校正を依頼、(10) 校正の確認と追加校正、(11) 校正が完了した校正刷りを印刷所へ送付、(12) 指示通りに修正がされたかどうかをチェック、(13) 必要に応じて著者に再校正を依頼、(14) 論文以外の原稿の入稿と校正、(15) 目次の作成と入稿、(16) 全ページの校正刷りを最終チェック、である。なお、(3) と (4) は、「原著」論文のみで行われる。これらの中で、最も時間と神経を使うのが(5)と(6)である。原稿の完成度(研究の内容はもちろんのこと、文章としての質の高さ)が高ければ、編集者として最もやりがいのある作業であるが、そうでない場合は、査読委員による審査も含めて、大変な作業になる。
思えば、編集と私には多くの縁があった。子どもの頃から文章を書くことが好きで、学校での作文の課題には苦労をしたことがなかった。大学時代の数人の恩師には著書が多数あったため、その言動を通して「物を書く姿勢」を学ぶことができた。一冊の書物ができあがっていく過程にも関心をもち、機械好きの私は、印刷技術にも興味をもつようになった。卒業後、思いがけず、兵庫県姫路市にある研究所に勤務することになった。趣味として入会した市民合唱団のリサイタルのパンフレット制作に携わった中で、写植(写真植字)というものがあることを知った。「校正記号」を知ったのも、この頃である。また、合唱団の仲間を介して、川柳作家、故・時実新子先生に師事する機会に恵まれた。氏が主宰・発行する『川柳展望』誌の会員になり、自らの作品や評論の発表を通して、自分が書いた原稿が雑誌に掲載されるまでの過程を、つぶさに体験した。桐生に戻ってから、数人の仲間と桐生第九合唱団を立ち上げ、役員として関わった公演パンフレットの制作を通して、地元の印刷屋さんと親しくなり、写植、製版、オフセット印刷などの機器を見せてもらうこともあった。
1980年代からは、パソコンやワープロを使って、個人でも、きれいな版下を作れる時代になり、コピー機の普及ともあいまって、少部数の印刷物の発行が簡単にできるようになった。この頃から、地元の市民団体「わたらせ教育フォーラム」の機関誌『共育つうしん』の編集を担当した。1997年に、『ヘルスサイエンス研究』が創刊されてからは、編集委員の一人として、校正を手伝うことになった。その後、自著『輝いて生きる』や『こころの通う対話法』などの出版を通して、市場に流通する書籍ができあがっていく過程も体験することができた。現在、『ヘルスサイエンス研究』の編集委員長の重責を、なんとかこなせているのは、これら、すべての体験の賜物なのかも知れない。
『ヘルスサイエンス研究』第20巻1号、2016年11月25日発行