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あなたは旅の始まりに本を買いますか?
ある日、ダンナは未読の本をとっかえひっかえしていた。
ちょっとした旅に出るのだ。親戚の法事に参加するためである。
2泊3日だし、宿泊は実家だ。旅といっては大げさかもしれない。
しかし長距離移動のあいだに読むべき本を数冊持つ必要がある。
ダンナの未読本は数十冊ある。その中から、今回持つのに相応しいモノを見極めるのに、多少の時間が必要なのだ。
物理的に重くなることは避けたい。
内容的に今の気分に相応しいものにしたい。
早く読み終えてしまうと手持ち無沙汰になるので、じっくり読むタイプのものがよい。
結局、定評のある作家の読み応えのある文庫本を数冊、選び出したようだ。分厚い文庫本数冊をカバンに詰め込むダンナを眺めながら、私は言った。
「旅上手な人って、空港とか駅とかでサッと本買って乗る…ってイメージだよね」
ダンナも「たしかに」と納得したようだ。
この「旅上手な人のイメージ」はどこから来ているかというと、これまでに読んだいろんな方のエッセイからである。
エッセイは旅がらみのものも多く、旅の始まりに空港や駅でサッと本を買うシーンを何度か読んだことがある。
そしてそれは私の記憶違いでなければ、圧倒的に芸能人のエッセイだったと思うのだ。小説家のエッセイではあまり出てこないシーンだ。
芸能人も小説家も旅上手なイメージはある。
エッセイを書くような、ある程度人気のある芸能人なら、仕事で移動することは多いだろうから、きっとすっかり旅上手になっていることだろう。
小説家は取材で出かける人も多くて、やはり旅上手になっているに違いない。
両者ともに旅上手なら「旅の始まりに本を買う」かどうかの違いはどこからくるのだろう。
芸能人と小説家ならば、圧倒的に小説家のほうが本好きが多いからなのではないか。
小説家は好きな本を読み、資料を読み、献呈された本なども読み、それはそれは読書量が多いものと推察される。
もちろん読書家の芸能人だっているだろうが、その割合は小説家ほどではなかろう。
なぜ読書量の多いほうが(この場合、小説家が)旅の始まりに本を「買わない」かといえば、すでに持っているからである。
本好きはいついかなる時も本を持つのだ。歯ブラシは現地調達できるが、自分が今、読みたいと思える本は現地調達できる保証がないから、持つのだ。
さらに重要なことがある。
本好きは、己の本好きがどういう結果をもたらすか、よく分かっている。
出発前のひととき、書店に入っても何も買えないのだ。
手当たり次第に気になる本を買えるのであれば別である。しかし旅の始まりに本をしこたま買い込むわけにはいかない。1冊か、せいぜい2冊にとどめるべきだろう。
どんな小さな書店でも本はたくさん置いてある。その宝の山から、ほんの少しの時間で今読みたい気分の本を1冊だけ選べ、と言われても困難を極める。
複数の本を手に途方に暮れてる間に出発時間がきてしまうのがオチだ。
だから本好きは、本当に時間を気にするときは、書店に入らないし、本も読まない。
そう。本を読むことも憚られるのだ。
うっかり集中してしまえば、搭乗(発車)時刻に気づくわけもない。といって時間を気にしていては、本に集中できず楽しめない。結局、本を読むことはあきらめてしまうのである。
ちなみに私は中学の時、委員会活動中に友人から借りた本を、ちょっとだけのつもりでいつのまにか読みふけってしまった。気づいたのは文庫本1冊を読み終わった時で、委員会の仕事は今まさに終わろうとしていた。
やらかしてしまった過去がある私は、大事な用事の前には本を読んだり、本屋に入ったりはしないことにしている。
さて私が持っていた「旅上手な人は、旅の始まりに本を買う」という思い込みのイメージは、「小説家タイプの人であればおそらく買わないであろう」という結論の前にもろくも崩れ去ってしまった。
ということで整理してみる。
旅上手であることと、出発前に本を買うか買わないかには、さほど関係がない。
ありゃ。しごく当たり前の結論になってしまった。
ところで、あなたはどうですか?
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