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鎌倉殿13-7 今日は難しいようです

なんだかんだで大河ドラマ「鎌倉殿の13人」もスピードに乗ってきました。
佐殿は小舟に乗ってえっちらおっちら安房に到着です。

今回も鎌倉幕府の史書「吾妻鏡」をチェックしていきます。
ドラマとは多少違うところなど散見されますが、ドラマはドラマですからね。
そして吾妻鏡も吾妻鏡です。
どちらも「事実」でないこともあります。

治承四(1180)年8月28日に、佐殿は安房国に向かいました。

9月4日。佐殿から書状を受け取った安西景益(あんざいかげます)が、佐殿のところへ参上しました。

安西景益は佐殿の幼少の頃に親しく仕えていたそう。
また彼は佐殿の父・義朝にしたがって保元の乱を戦った人。

書状なんかもらわなくても自ら馳せ参じちゃうレベルに、縁のある安西景益さんです。

そして安西景益は佐殿に進言します。
「長挟常伴(ながさつねとも)のような企みがまだまだあるかもしれない。むやみに上総広常(かずさひろつね)のところへ行かず使者を送って、佐殿のところへ参上するよう命じるべきだ」

長挟常伴は安房の人。
もともと安房(千葉県)を狙っていた三浦(神奈川県)と敵対関係にあったようです。

東京湾の向こうを狙うとは!
思ったより平安末期の武士の行動範囲は広いのかもしれません。

さて長挟常伴は平家方なので、源頼朝が安房にやってきた時に襲撃しようとしました。

その動きを察知したのは三浦義澄。
日頃から長挟の動きを掴むようにしていたんでしょうね。

おかげで佐殿は命拾い。

ドラマの中では漁師のむすめにして人妻である、亀という女性の夫とその仲間たちが思いっきり誤解して戦ってくれました。

その際の三浦義澄の息子・義村のいろいろ知ってる感がまた良かったですな。

いろいろ知ってるけど、知ってるかどうかは気取らせない。
仕事はきっちりこなすぜ、オレは出来るオトコだからな。
ただしそれもオレとお前の利害が一致してるあいだは、だけどな。

…みたいな感じ。

で、話を戻しましょう。

他にも平家方が襲ってくることも考えられるわけだから、佐殿よ、ノコノコ上総広常のところに飛び込むな。

こういうわけです。

上総広常は佐殿の父・義朝に従っていたことがあり、その長男である義平にも従っていました。

そのため佐殿も安心してたのでしょうか。
直接、上総広常のところに行こうとしていたようです。

それを安西景益が引き留めたと。

9月9日。
安達盛長が、合流を求めに行った千葉常胤(ちばつねたね)のところから戻ってきました。

安達盛長はドラマの中で藤九郎と呼ばれています。
安達姓を名乗るのはまだ先の話。

じゃあどこの藤九郎さんなのかというと、はっきりしていないようです。
兄が藤原遠兼という人らしく、藤九郎の名は藤原姓から取っているのかもしれませんね。

この藤九郎、伊豆での佐殿の罪人生活中もずっと付き従っていました。

…なんだか私の目には爺やさんのように見えます。

安達盛長の妻は、佐殿の乳母のむすめなんだそう。
つまり佐殿の乳姉妹が奥さん。

なるほど。そのご縁でお仕えするようになったんですね。

さて安達盛長の報告によれば、千葉常胤は安達盛長の話を黙って聞いていました。
その様子はまるで眠っているかのよう。

そして二人の息子に返事を急かされると「源家中絶の跡を興さ令め給ふの条、感涙、眼を遮り、言語のおよぶ所に非ざるなり」と言ったのだとか。

源氏のお家を再興するっていうから、感激で涙うるうるだし言葉も出ませーん。
…ってなところか。

さらに「佐殿が今いらっしゃるところは守りに適しているわけでもなく、先祖代々の土地でもないから、早く相模国の鎌倉へ」と勧めたという風に、安達盛長は報告します。

9月17日。
軍勢を召集中であるという上総広常のことはおいといて、佐殿一行は安房を出発して下総(千葉常胤のところ)へ向かいました。

ちなみに千葉県の南から順番に、安房国、上総国、下総国です。

安達盛長が千葉常胤のところへ行ったタイミング(4日)で、和田義盛が上総広常のところへ行ってるのです。
和田義盛は、千葉常胤と相談してから参上するという上総広常の返事を6日に持ち帰っています。

6日に返事がありました。
で、今は17日。

え!10日以上そのまま?

この日、千葉常胤は息子その他を引き連れて下総の国府に参上します。

上総広常はどこ行った!?

千葉常胤は手土産に下総国の目代を討ち取り、平家の縁戚である千田親政を捕虜にしました。
さらに食糧も献上。

佐殿は千葉常胤を近くによんで「あなたを父として待遇しよう」と言いました。

佐殿は安房を出発した時点で300騎余りを率いています。
千葉常胤と仲間たちも、300騎余り。

兵力倍増です。

9月19日。
上総広常が仲間たちを大勢引き連れて、隅田川のあたりに参上します。

佐殿はその遅参っぷりに怒り、許す気配がありません。

上総広常は、今はどこもかしこも平家の支配下なので「頼朝の様子に気高いところが無ければ、直ちに討ち取って、平家に献上しよう」と考えていました。

上総広常は、自らの率いる20000騎を見た頼朝が喜ぶだろうと思っていたので、遅参を咎められてこれこそが主君のあるべき姿だと思い、佐殿の首を平家に献上するのはやめました。

…という吾妻鏡の記述ですが、最近の研究では最初から佐殿の味方についていたらしいです。
理由はやはり平家の圧力に苦しむ武士のひとりだったから、だとか。

というわけで上総広常と仲間たちも佐殿チームに加わります。


さて千葉常胤が佐殿に早く鎌倉へ行け!と勧めた理由が、今いるところは「守りやすいわけでもなく先祖代々の土地でもない」でした。

それは逆にいえば鎌倉は「守りやすいし先祖代々の土地だ」ということですよね。

鎌倉は父・義朝が本拠にしていました。
また遡ると、佐殿の五代前の源頼義が、舅の平直方から屋敷を譲られています。

これは間違いなく先祖代々の土地といっていいでしょう。

ちなみに父・義朝は鎌倉を拠点にして南関東の武士団と主従関係がありました。

上総氏、三浦氏、千葉氏、大庭氏…。

あら。
そういえば義朝はすでに東京湾の向こうの上総氏を傘下におさめていたんですね。
それは三浦氏も安房を狙いにいくわけですな。

ということは。
佐殿が今ドラマで頑張ってるのは、父の代では仲間だった人たちを再結集させようとしてるってことですね。

みなさん、時代の風に流されて平家になびいて暮らしてるわけですねぇ。

そして先祖代々の土地なうえに守りやすい土地。
三方が山、一方は海。
よく言われますね。

実際、現在の鎌倉も山に囲まれた土地のようです。

さて山と海に囲まれた「鎌倉の土地」はどんなところだったんでしょうか。

佐殿や小四郎たちが寝起きし、鎌倉幕府や鶴岡八幡宮が出来るであろう土地です。

吾妻鏡には「鎌倉はもともと辺鄙なところで、漁師や農民のほかに住む者は少なかった」と書いてあり、源頼朝のおかげで発展したようになっています。

しかし鎌倉市内の発掘調査によると、もっとずっと以前からそれなりに賑わっていた様子。

旧石器から弥生時代にかけての遺構・遺物、古墳から平安時代にかけての住居跡などが見つかっているそうです。

また石橋山帰りの三浦と畠山がうっかり戦ってしまった由比ヶ浜近くでは、弥生時代に集落があり、古墳時代に墓地となり、奈良・平安時代に再び集落になったことが分かっているとか。

さらに古代の役所である群家(ぐうけ)もあり、天平五(733)年の銘をもつ木簡が見つかっています。

お役所を造るのに辺鄙なところは選ばないですよね。
当然、交通の便のよいところのはず。

京からみると、足柄山を越えると相模国。
鎌倉群家を通って三浦半島へ。
そこから海路で房総半島の上総国へ。
…というのが古東海道なんだそうです。

ふーん。なるほど。交通の要所、ですね。

さらに面白いのが、鎌倉の海岸線。
現在より内陸部まで海が入り込んでいました。

海岸線が現在より内陸寄りというだけではなく、砂州で外海と隔てられた浅い海(ラグーン)があったのです。

その浅い海があるのは、現在の鎌倉市中心部付近です。
しかもけっこう広い。

さらに驚くのは、その浅い海が完全に埋め立てられたのは明治初期だということ。

当然、平安末期から鎌倉時代にかけては海なので、建物などが建つはずもありません。

この地区からは鎌倉時代の建物跡が発見されたこともなく、古い寺社もないそうです。

地図で確認してみると確かに!

佐殿や小四郎たちは、これから浅い海を抱える鎌倉の地に向かうわけですね。

この浅い海がどこにどう存在したのか、気になりますよね。

「史伝北条義時」山本みなみ・小学館

↑の本に地図が載っています。
よかったらご覧ください。


さてさて。
ドラマで今回私が気になったのは阿野全成(あのぜんじょう)の登場です。

待たれよ!…って超カッコよかったのに。
私が風を起こす!…って。ぷふっ。

でも風は呼べなくとも、混乱は呼べました。
それでいいんじゃないかな。たぶん…。

あんな出会いでいいのかは謎ですけどね。



↓これは、東京都立大学広報担当さんのTwitterです。
佐殿が真名鶴から安房までえっちらおっちら漕いでいった丸木舟は、東京都立大学の学術標本なんだそうです。


参考文献
史伝北条義時 山本みなみ 小学館
源頼朝 高橋典之 山川出版社
武家の古都、鎌倉 高橋慎一朗 山川出版社
吾妻鏡 西田友広編 角川ソフィア文庫

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