
【本に寄せて】積ん読の本(石井千湖・主婦と生活社)
表紙の写真を見て、大量の積読をどう保管しているのか、参考になればいいなと思って買った。
しかし、本の帯に「読むことの本質に迫る積ん読名人12人のインタビュー集」とある。
「積読」という言葉はどうも他の国の言葉にはないらしい。
物体としての「本の山」をあらわす言葉はあっても、「これから読むつもりの未読本」の意味はないのだそうだ。
そんなわけで「TSUNDOKU」という言葉は、外国でもそのまま使われることもあるようだ。
さてこの本のなかに登場する12人。
それぞれに「積読」との向き合い方が違っていて面白い。
できれば「積読」したくない、という人もいる。
しかし多くは「積読」してなんぼ、くらいのスタンスのようだ。
そして厳密には「積読」の意味合いも人それぞれだったりする。
私の場合の「積読」の定義はこうだ。
「読もうと思って買って来た、読まれる順番待ちをしている本」。
それは本棚に立ててあったり、椅子の上に積んであったり、段ボール箱に入っていたりと、状態は問わない。
ついでにその後の経過も書いてみると、読み終わった本は基本的にはブックオフ行きの段ボールにおさめる。
狭い家で、家族全員が本好きなので、この流れは仕方ないことだと割り切っている。
ただしシリーズものは、読み終わったら本棚に入れる。
最終巻まで出た時点で、一度通読してからブックオフに送り出すためだ。
やはり一冊ずつ読んでいくのと、通読するのでは受ける印象が変わったりする。
さて、なかには読み終わってもブックオフ行きの段ボールに入れない本もある。
現時点では「再読するはず」と思うものである。
こういうのは、実用書に多い。
旅行のガイドブック、カフェ案内、手芸本、料理本・・・。
再読予定の本たちも年イチくらいで精査していく。
情報が古くなったものや、興味が薄れたものなどは不要だ。
たまには小説で再読扱いにするものもある。
しかし実際には再読することはほとんどない。
2~3年もすると、「棚に置いておいた」という事実に満足して、ブックオフ送りになる。
しかしなかには本当に再読することもあるから、そこは冷静に判断したいところ。
たとえば私の場合「彩雲国物語」シリーズは、本当に再読する。
とつぜん読みたくなるタイミングがやってくるのだ。
1日に1冊読むとしても、通読するには20日以上かかる。
そのあいだは、完全に「彩雲国物語」月間になる。
同じようなことは、「ガラスの仮面」や「動物のお医者さん」でも起こる。
さてさて。
私個人のことはこれくらいにして、「積ん読の本」の話に戻ろう。
そもそも私は大量の本の保管方法を知りたかった。
本の少ない家にすることは出来ないけど、多いなりにどうにかしたい。
それで昨年から「ブックカフェ風の家づくり」というのをテーマにしているのだが、これが一向に進まない。
ネットでブックカフェの写真を眺めたりしているが、何かが違う。
いろいろ考えて分かったのは、ブックカフェは結局のところ「カフェ」なんだ、ということだ。
カフェだから、お茶や軽食はあり。
でも「生活」は、ブックカフェに含まれない。
3度の食事、在宅仕事、洗濯物・・・こういった「生活」も内包しなければならない。
「積ん読の本」に出てくるような人たちはどうやっているだろうか。
そう思って写真を眺めたが、やはりというか、残念ながらというか、違う世界だった。
多くの方が、書庫のようなものをお持ちなのだ。
そして書庫ではない場合は、これまたやはりというか、残念ながらというか、我が家のような混沌世界(大変失礼!)に暮らしてらっしゃる。
「積読の悩み相談Q&A」というページが4ページだけあったが、これは「大量の本の分類」というところに重きがおかれていた。
私はその次の段階が知りたい。
現時点で家に置いておく大量の本たちとの「共存方法」。
これが知りたいのだ。
結局、宝くじが当たったらいいのになぁと、買ってもいない宝くじのことを考える。
「書庫に暮らす」前提での大リフォームを決行することが、唯一の解決法のような気がしているからである。
いいなと思ったら応援しよう!
