『火の鳥 鳳凰編』 作者:手塚治虫
シリーズ第5部の『鳳凰編』は第2部以来になる長篇作であるが、火の鳥は長篇作の方が評価が高い様に思う。本作はその中でも特に人気があるのではないだろうか。個人的にもかなり面白い作品と思っている。
舞台は8世紀、奈良時代の日本。シリーズを通して重要な役割で登場している猿田が、本作では我王という悪党を演じている。
生まれたその日に事故により右目と左腕、そして父親を失い、母親は狂人と化した。そんな我王は村人たちに疎まれながら育ち、今や荒み切っていた。
15歳の時、争いごとから人を殺し、村を後にした我王は、逃亡の最中に出会った仏師の茜丸から着物を奪い、腹立ち紛れに茜丸の右手を斬りつける。茜丸にとって大事な右手は使い物にならなくなってしまった。我王と茜丸。二人の主人公の出会いである。
一旦は落胆するものの、まだ左手があると再起を図る茜丸。
一方、盗賊と化していた我王は捕えられるが、命を助けられた高僧のお供をすることになる。諸国を巡り、病や死に苦しむ人々から救いをせがまれた我王は、思わず魔除けの像を彫った。
「やり場のない怒り。心の底から滲み出た苦悩が、あの像の顔にありありと出ておる」
尚も高僧は言う。
「お前はその腕で、何万人か何十万人かの人間を救うぞ」
鳳凰の像を彫れ、さもなければ首を斬ると貴族から強引に命ぜられた茜丸は、鳳凰の情報を求め始める。いつしか鳳凰にすっかり魅せられていた茜丸は夢の中で火の鳥を見るが、またそれは、同時に自らの輪廻の姿を追う夢でもあった。
火の鳥の像の完成は、茜丸の出世の緒となった。名声を高め、東大寺の大仏建立のプロデューサーにまでなったのである。
そんな二人を描きながら、本作では仏教というものにも焦点を当てている。それは、民心を操る為の政治の道具として扱われる。
しかし、それだけではない。
輪廻転生。
茜丸は火の鳥によって、自らの生まれ変わりの運命を知る。そして我王は、何世代にも亘って苦しみを受け続ける己の定めを見せつけられるのである。
「なぜ生きものは死なねばならぬのか? いや、なぜ生きるのか? 死ぬために生きるのか?」
我王は自らに問う。
「虫魚禽獣、死ねばどれもみんなおなじ。人が仏になるなら、生きとし生けるものはみんな仏だ。生きる? 死ぬ? それがなんだというんだ。宇宙のなかに人生など、いっさい無だ! ちっぽけなごみなのだ!」
高僧との出会いから、次第に心を高めていく我王。
出世と共にかつての純粋さ、情熱を失っていく茜丸。
その二人に、大仏殿の鬼瓦を製作する対決の機会が訪れる。
その結果は? 物語の結末は?
どころで、『ヤマト編』では『黎明編』との繋がりが描かれていたが、本作にも『ヤマト編』からの流れが挿入されている。この辺りなかなかニクイ。
なかなかニクイと言えばこちらも。
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