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『チャンドラー短編全集1 赤い風』 作者: レイモンド・チャンドラー,(翻訳)稲葉 明雄

「ハードボイルド小説の情緒的基盤は、あきらかに、殺人は発覚し正義が行なわれるということを信じない点にある」
本書の序文で、作者であるレイモンド・チャンドラーはこう述べている。
チャンドラーは、ハードボイルド探偵小説というスタイルを確立したと言われているが、その作品の中で登場する人物達は、僅かな手掛かりを基に難解なトリックを暴くロンドンの伊達男でもなく、また、灰色の脳細胞を駆使して、歩き廻ることすらせずに鮮やかな推理力のみで犯人を特定する様な名探偵ではないのである。
街路が暗いのは夜の闇のためだけではなかった。そんな時代のロスアンジェルスを舞台に、無鉄砲に、しかし一抹の感傷を抱いて渡り歩く男が、チャンドラー作品に於ける主人公なのである。

チャンドラーが主な活動の場に選んだのは、パルプ・マガジンであった。
冒頭の弁と同じく序文の言葉を借りれば、「不必要にけばけばしい表紙や、陳腐きわまる題名、ほとんど受け容れがたい様な広告文」といった代物でしかなかった探偵雑誌である。
しかし、チャンドラーの作品は、卓越したリアリズムや流暢な文体を以て探偵小説を文学にまで押し上げた。
その活動期間中、ハリウッド映画界にも関わったりしていたこともあり、彼の生涯に亘る作品数はさほど多くはなく、長編作品は七作品のみである。また、それらの長編作品も短中編の幾つかを再編して作られているものが殆どである。
故に、枝葉が分かれて複雑な印象を与えることもしばしばとなるのだが、短中編を読むと意外なシンプルさ、分かり易さを感じることだろう。
また、チャンドラーの長編作は、全て主人公の一人称形式で描かれているが、1933年に『ブラック・マスク』誌に掲載されたデビュー作「脅迫者は射たない」など、三人称形式で書かれているレアケースも楽しめるのも短中編集に於ける特徴である。
尚、チャンドラー作品の代表的な主人公といえば、私立探偵フィリップ・マーロウである。彼が登場したのは初の長編作『大いなる眠り』であるが、チャンドラー自身の言葉によると、主人公は処女作以来一貫した人物として書いた積りだと述べている。
短中編作品に於ける主人公の探偵達も、名前こそ違えどもマーロウと同一のキャラクター造形と考えて差し支えなさそうだ。

収録作品
「序」
「脅迫者は射たない」
「赤い風」
「金魚」
「山には犯罪なし」


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