『長いお別れ』 作者:レイモンド・チャンドラー
「さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ」
1953年に刊行されたレイモンド・チャンドラーの長編六作目である。
アメリカ推理小説作家クラブで1955年の最優秀長編にも推薦されており、チャンドラーの作品の中でも代表的傑作との呼び声も高い本作は、一番ページ数の多い著作でもあり、読み応えも十分。そして匠の技をじっくりと味わえることは非常の悦びだ。
たまたまテリー・レノックスという片頬に傷を持った酔っぱらいと出会った私立探偵 フィリップ・マーロウは、なぜか嫌いになれない、そしてどこか危なっかしさを感じさせるレノックスに対し、無償の親切心を度々表す。
そして二人は、夕方の落ち着きのある時間帯のバーで、頻繁にギムレットを酌み交わす仲になっていた。
結婚生活と自分自身に対して自暴気味な態度を見せるレノックスはいう。
「アルコールは恋愛のようなもんだね。最初のキスには魔力がある。二度目はずっとしたくなる。三度目はもう感激がない。それからは女の服を脱がすだけだ」
或る日の早朝、レノックスは不意にマーロウの自宅を訪ねてくる。その手には拳銃があった。
またマーロウにトラブルが舞い込んできたのだった。
じっくりとした文体、比喩の巧さ、会話のセンスの妙味、切れ味鋭い語り口、クールなキメ具合、その筆力は成熟の域に達している。
また、登場人物も数多いが上滑りしておらず、それぞれが魅力的だ。
これは、マーロウの第一人称で進む語り口こそ従来通りであるものの、これまでの作品に比べてみると、対峙する人物たちの心情までマーロウが汲み取って述べているからこそ、それぞれのキャラが存分に立っているのだと思う。
マーロウも本作中において既に42歳である。彼自身のキャラクターも熟味を増しているのだ。
この稼業の人間にはよくあるように暗い路地で往生しても、悲しがる人間は一人もいない、とうそぶくマーロウ。
数々の登場人物たちとのやりとりも争いも、ロマンスめいた出来事も彼にとっては一抹の泡のようだ。
いつだって物語の終わりには、マーロウは独りに還る。
「ただ、警官だけはべつだった。警官にさよならをいう方法はいまだに発見されていない」