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『トリリオンゲーム』 作者:原作 稲垣理一郎、作画 池上遼一

私は、少年時代から青年時代になるまでの間、かなりの漫画野郎だった。だが、広く浅くというよりは、好き嫌いは激しいタイプであった。
で、特別好きだった何人かの漫画家の一人が池上遼一であった。
彼の漫画を初めて読んだのは、恐らく『日本版スパイダーマン』。それは、元々アメコミが好きで、分けても親愛なる隣人スパイディは別格だったからなのであるが、池上が描いた本家を上回る悩み多き日本版の主人公の姿は印象深かった。
そして、『男組』、『I・餓男(アイウエオボーイと読む。いや、ギャグ漫画ではないよ)』で決定的にハマった。

時は下って、つい数ヶ月前。
涼を得るために立ち寄ったコンビニで、「おっ、池上遼一じゃーん」と、表紙に導かれて手にしたスペリオールで、『トリリオンゲーム』を立ち読みした時は、腰を抜かしそうになった。
「確かに池上遼一ではあるんだが、でもオレの知ってる池上遼一じゃなぁい。でもでも、確かに池上遼一・・・」
あまりの激変っぷり。
なんつったって、パラパラ〜と雑に頁を繰っただけでは、その掲載頁に気付くことが叶わず、素通りしてしまった程だった。

いやいや、池上遼一がこれまで変化に乏しい作家であったのかと言えば、決してそんなこたぁない。デビューの時分、1960年代後半から彼の絵は絶えず成長し続けてきた。
では何故今更、腰が抜けそうになる程、『トリリオンゲーム』にびっくらぽんと衝撃を受けたのか。
それは、成長、進化が著しいとは言っても、池上遼一の表現してきた場というのは、飽くまでも「劇画」の世界観の内であり続けた、ということだ。
しかして、『トリリオンゲーム』。
それは、それまでの池上遼一の表現手法を全くもって逸脱している様に見えた。
「なにこれ? いや待って、全然劇画じゃないもんねー!」
私の頭の中にあった池上遼一の世界が瓦解した瞬間のご到来。
「どどどどどど、どうしちゃったんだろう、これって」
その疑問に回答をくれたのは、ウェブで見掛けた、池上遼一のインタビュー記事であった。
これまで、ウルフガイ平井和正、オイシンボ雁屋哲、コヅレオオカミ小池一夫、ホクトノケン武論尊、オールドボーイ狩撫麻礼などといった人々の原作付きの漫画を多く手掛けてきた池上遼一であったが、それらの原作はテキストベースであった。ということで、コマ割りやらページ構成、レイアウトやらからが池上氏のお仕事だったのだ。
しかし、『トリリオンゲーム』に於いて初めてタッグを組んだ稲垣理一郎から寄越されてきた原作は、そのコマ割りやらをも含んだ「ネーム」状のものだったのだ。
その際の池上氏の胸中たるや如何に? これまでの画業のキャリアを全否定されたと捉えたとしてもむべなるかな。
しかし、かかし、おかし、一旦は戸惑い、思い悩んだものの、池上遼一は、自分とは異なる稲垣氏の作風を面白いと感じたのであった。
”稲垣氏のセンスに自らの絵をプラスする”
考えてもみなかった新しい制作スタイルに、池上遼一はチャレンジしてみようと思い立ったのであった。
御年七十七歳にしてこの豹変っぷりとは、いやはや、すさまじいものではないか。
これまでとは全く異なることにも、怯まず挑むその精神。
いや〜、学びがあるよね〜い。

という訳で、既刊の第三巻までは読破した。
次巻の発刊が待ち遠しい今日この頃なのだ。


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