「架空の人物の物語≒私の欲望・願望」なのかもしれないと感じた
現実味があったとしても架空の話は架空の話。
それでもその話を作るには、「誰か」になりきって物語を進めなければいけない。
その中で気付いたこともあった。
「その話の出来事が善か悪かは別にして、自分にもそれに似た欲望や願望があるのかもしれない」
自分の欲望や願望のタガが外れないように、その物語を書いているような気もしなくはない。架空の「誰か」に自分の悪い欲望の塊を代わりに演じてもらっている気がする。
その中で光と闇を自らも含めて感じ取ってもらいたくて書いているのだろう。